ウォーキングの途中で小さなスズランのような白い花を沢山咲かせた樹木を良く見かける。住宅の生垣、歩道の脇などにずらりと並んでいるのは圧巻とすら思える。調べてみたら馬酔木(あしび)だった。実は、何年も同じ場所を歩いていたのにずっと気にとめていなかった。気づいてみると、近所の家の生垣もそうだった。虫よけのために良く植えられているそうである。ウォーキング中に最近初めて見かけたものもある。キジである。1か月前には大きな沼の傍で鮮やかな羽根の雄を見かけた。つい最近は全く別の場所の叢で茶色の雌を見かけた。住宅地域でもまだまだ様々な生き物が見つかることは感動である。
最近になって様々な発見をすることが増えたのは理由がある。意識して発見しようとしているからである。時間的にも精神的にもかなり余裕ができたことが大きいが、それだけではない。発見することで自分の知識が増えること、感動が大きくなることが楽しいからである。さらには、発見しようとする行為が危険回避の手段にもなることを知ったからである。
思い起こせば、60歳台までは時間的にも、精神的にも全く余裕がなかった。よほど自分の生活に大きな影響がない限り多くのことを見過ごしていた。近所の生垣の植物が何かなど気にも留めなかったし、犬の散歩をしていても鳥の鳴声など耳に届かなかった。しかし気持ちの余裕だけでは足りない。偶然を待っていては気づけない。気づこうとする意識も大切であると思う。何かに気づけば、その先にはそれを調べて新たな知識を得ることが待っている。それが感動につながっていく。
かつては便利なモノが開発されても仕組みについて調べようともしなかった。しかし、最近になってあえて調べるようにしている。例えば、色の消えるボールペンの仕組みを(今更ながら)調べてみた。こすることで高温になり色が消えること、冷凍すると戻ることを知り、早速実験して確かめた。子供の頃に帰ったようにワクワクした。老眼が進んで細かい文字を読むのがつらくなっているが、毎日の読書と、その内容についてさらにネットで検索することは欠かさない。若い時と比べて技術的、理論的な内容を理解するのには時間がかかる。その分、分かった時の喜びは大きい。
最後に危機管理についても述べたい。犯罪の専門家の書いたものを読んだことがある。最近の犯罪は凶悪になってきているにもかかわらず、日本人の対策は遭遇した時の事後処理に偏っている。しかもその対策は(犯罪者を甘く見過ぎていて)効果が薄い。必要なのは予防策、つまり、犯罪を犯そうとする人に近寄らないことである。そのためには早めに危険に気づいてそこから逃げる必要がある。しかし、最近の人はイヤホンで音楽を聴きスマホを眺めながら歩くなど、気づくことが困難な状況で行動している。多分、電車の中の居眠りなどもそうだろう。私は犯罪というより交通事故に遭うのが怖いので常に周りの状況を見ながら歩いている。高齢者は自転車にぶつかっただけでも寝たきりになる可能性もあるのだ。この行動は他の危険の察知にも役立つ。この危機管理行動が新たな気づきができるきっかけにもなっているのは確かである。であれば一石二鳥と言ってよいだろう。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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偶然を待っていては気づけない
2023.4.16