毎日、2時間以上のウォーキングを続けている。暖かくなったこの季節は足の運びも軽やかになった気がする。先日、途中のスーパーの店先にちょっと形の悪い野菜が出ているのに気づいた。白菜が1個100円(!)、ニンジンが3本で70円(!)。物価高の折、これは見逃せない。慌てて購入し店を出たとたんにあまりの重さにふらついた。家まであと1時間は歩かなければならない。汗をかきながら必死で帰宅した。でも幸せを感じていた。
もう何十年も物価は上がらないものと思い込んでいた。逆に、大量の、しかも珍しい食品が安く買えるスーパーも増えて、デフレが当たり前に浸透していたともいえる。しかし潮目は変わった。スーパーで購入していた食品のパッケージを見れば量は減っており、逆に値段は上がっている。これがずっと忘れていたインフレなのだ。
私はまもなく75歳になるが、物が大量であること、重いことは、もうずいぶん前から価値ではなくなっていた。その最大の理由は、工業化が進み大量生産ができるようになったことだと思う。それにより、今まで手の届かなかった物が手の届く(何とか買える)ようになった。私が社会人になる頃には給料は年々上がり、欲しいものを手に入れるということが加速していった。この時期は確かにインフレだったのだが、それを感じさせない消費の力が世の中に溢れていたのだ。
工業化は大量生産を実現しただけでなく、製品品質の向上も実現した。物価は上がらず、しかも高い品質のものが手に入るようになった。中年に達する頃には昇進してもそれほど給料は上がらなくなったが、生活の豊かさが失われるという感覚はあまり感じなかった。良いもの、珍しいものが手に入ったからである。それが数十年ぶりのインフレで大きく揺らいでいる。それは、今だけでなく将来の不安まで呼び起こしてしまった。
卵の価格が高騰している原因が、餌の価格高騰と鳥インフルエンザの蔓延によるものであることが言われてきた。特に鳥インフルエンザでは感染が見つかれば養鶏場全体の鶏を全て殺傷処分しなければならない。その影響は大規模な養鶏場で大きい。考えてみれば、卵の価格がずっと上がらなかったのは、機械化された大規模な養鶏場で卵を大量生産できていたからではないか。逆に言えば、卵の価格が上がらないのを当然と考えていた消費者が工業化を後押しし、結果的に今の高騰に結びついたともいえる。
物の価値についてもう一度振り返ってみよう。(記憶はないが)私の生まれた頃は確かに「量」に価値があった。その後、工業化が進むにつれて「品質」に価値が移っていった。それが当たり前(つまり品質の良いものしか買われない)になってからは、「経験」に価値が移っている。今までなかったもの、入手が困難なもの、心に響くものの価値が上がっている。初めてiPhoneが日本に入ってきたとき、いち早く手に入れた同僚が会議中にずっとそれを撫でまわしているのを見て、「私も欲しい」と強く思ってしまった。今までにない価値を生み出すことこそが消費を促進し、産業を活性化させ、給料の上昇を実現するのである。
重さに幸せを感じるのではなく、価値を変えていく努力を今こそするべき時なのだ。
自分の信念に従って行動する「高い志を持つ、市場価値の高い技術者」を育成します。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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重さに幸せを感じていてはいけない
2023.4.9