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男女同数を目指す時が来ているのではないか


2023.3.12


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 今年は春が一気にやってきた。池や川に沢山いたカルガモやオオバンなどの水鳥は北に帰って行ったのか、数がぐんと減った。一目で見られる範囲の水鳥の数が一瞬で数えられるくらいに。面白いのは、ほぼ間違いなく水鳥の数は偶数ということである。

 マガモのオスは頭が美しいブルーやグリーンに見える青首になっていた。その周辺には同数の地味な茶色の雌が泳いでいた。ヒドリガモはオスが茶色の頭で目立っており、その周辺には明らかにメスと思われる地味な茶色の鳥が同数いた。オオバンも必ず偶数で、雌雄の区別はつかないけれどつがいの集団であることは明らかである。繁殖の時期が来るのだ。

 人間も動物であることは確かである。国勢調査の結果を見ると、女性の数が51%と男性よりもやや多いが、高齢化社会であって女性の寿命が長いことが影響しているからで、男女はほぼ同数といってよいだろう。であれば、社会生活の中のどこでも男女同数くらいになっていてもおかしくないはずだ。でも現実は違うと改めて気づかされる。

 思い起こせば、私の周辺が男女同数だったのは中学校までだった。高校は公立高校だったが、女子は全体の10%に満たなかった。大学も同様だった。さらに、社会人になってから勤めたいくつかの職場は全て圧倒的に男性ばかりだった。私自身は、女性だからと言って男性と差別しないで欲しいと言ったことはあっても、不思議なことに、この数のアンバランスを知らぬ間に受け入れてしまっていた。「男女の役割分担」という意識が親や社会から刷り込まれていた可能性がある。それは、次のような考え方である。

【男性は学校を出たら社会で働かなければならず、より収入を上げるために学歴が重要である。一方で、女性は学校を出たら結婚して子供を産み育てなければならないので、男性とは学ぶ内容は異なり、何より早く(若いうちに)学校を出て結婚するべきである。結果として、進学先に選ぶ学校や専攻は、男女で違ってくるのは当然である。理系に進むと学ぶ期間が長くなり、女性にとっては子供を産み育てる機会を失いがちなので勧められない。】

あえてそれに逆らった私はどう考えていたのか。自分は変わり者の少数派であることを認識した上で、批判を受けて当然なので耐えていくしかないと覚悟していたのだ。しかし、今こそ「男女の役割分担」自体がおかしいものとして捉えて、変えていくべきと考えている。「男女の役割分担」が無くなれば少子化にブレーキをかけることもできるだろう。

 出産自体は女性しかできないにせよ、その負担を軽くすることを含めて多くのことが社会で支援できるはずである。子供を育てることも家庭の責任とするのではなくもっと社会全体が担えばよい。そうすれば女性も進学や就職の選択肢が広がる。有能な女性が科学技術分野で活躍できれば、より将来に向けた価値ある技術や製品開発もできる。私自身、大学の学生のレポートを分析していて、一人一人の意見は固定化しがちだが100人の意見を集めると新たな発見が多く得られることを実感している。多様性が発想の柔軟性や創造性を高めることは事実である。今こそ学校、企業、政治など社会全体が数の偏りに疑問を感じるべきではないか。つまり、男女同数を目指す時が来ているのだ。

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