自宅の本棚で読まずに10年も眠っていた書籍を見つけて読み始めた。「知の歴史−世界を変えた21の科学理論」(徳間書店 2002)である。これは、20世紀に科学誌「ネイチャー」に掲載された、現代社会に大きな影響を与えた研究成果につながる21の論文と、その解説を掲載したものである。人類のアフリカ起源、中性子による核反応、DNAの二重らせん構造、海嶺の磁気異常と大陸移動、T細胞とワクチンの作用の関連など、21世紀の現代では当たり前になった学説や、生命や生活に不可欠な科学技術が網羅されている。元の論文の著者の大半がノーベル賞を受賞しているのは当然だと思う。
20世紀と言えば、現代の情報技術が殆ど使われていない時期が長い。従って、論文の多くは、コンピュータを使った分析の結果ではなく、地道な(手作業に近い)実験の積み重ねや、(他者から認められるまでに何年もかかった)特異な発想の開示である。勿論、電子顕微鏡を含めた高精度、大規模な実験装置ができたことによる研究の加速は大きい。しかし、AIによるデータの検索やビッグデータの分析の恩恵は全く受けていないのは確実である。
21世紀も20年を超えた。研究開発の場で現代の情報技術はどう役立っているだろうか。確実なのは世界中の情報が20世紀と比較すればほぼ瞬時に手に入ることである。装置の精度が上がり、機器同士をコンピュータでつなぐIOTでデータ取得の量も速度も格段に上がっているはずである。最近は、得られた情報を利用してAIから新たな発想のヒントを与えてもらえる。10年後に「知の歴史」を発行するとしたら数倍、いや数十倍以上の掲載項目になってもおかしくはない。でも本当にそうだろうか。
私が心配しているのは、人間の「発見力」や「考え抜く力」が情報技術の発展によって低下してしまわないかということである。19世紀、20世紀の大きな研究成果は、AIもビッグデータもない時代の研究者が考え抜いて発見したものである。言ってみれば、紙と鉛筆と指(とその他の体)の感覚から導き出したものである。沢山のデータを機械的に集めてビッグデータにして分析すれば多くのことを発見できるだろう。なぜそうなるかをAIに問えば、それらしい理由を教えてくれるだろう。その分、人間は自分で考える努力をしなくなってしまわないだろうか。21世紀の研究成果は果たして過去を凌駕出来るだろうか。
私自身はすでに研究者でもないので想像でしか物が言えないのであるが、「発見」というのは全身(頭と体)を使って得られるものではないかと思っている。見聞きし、感じ取り、考え抜くことで生み出される。それを他人に話して反論されることにより明確になり、さらに考えることで発見が繰り返される。時間がかかりきつい作業である。自分の頭を使わずにAIに発見してもらう方が時間短縮にもなるし、何より他人受けしそうなものが出てくる可能性がある。人間は頭と体で発見する努力をしなくなってしまうかもしれない。
AIとチャットすればそれらしい答えを教えてくれるのなら頼りたくなるのも分かる。でもそれこそが人間が本来持っている力を発揮する機会を自ら放棄することではないか。22世紀以降に人間が自力で何かを生み出せているか、非常に心配である。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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科学の進歩はAIで加速するだろうか
2023.3.5