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どう思うかではなくどう行動するかが重要だ


2023.2.25


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 首相や企業のトップを始めとする影響力のある人たちの発言が物議を醸すことがよくある。大抵は当人が「そういう意味でいったのではない」「誤解を招く発言をした」と釈明や謝罪をするが、世間はそのままには受け取らない。本音が出たに違いないと考えて、その本音(本当はどう思っているか)を引き出そうとする。私は、それを無駄な行動だと思っている。自分がどう思っているかは本人も認識していないことが多い。それを詮索するよりその人がどう行動するかを見極めることが重要だと考えている。

 例えばLGBTQの問題に代表されるような差別に対する感情、「家庭」の捉え方、男女の役割分担、女性は理系に向いていないとする風潮、セクハラやパワハラに対する認識などは百人百様の感じ方がある。それは自分の生きてきた環境、時間に大きく左右される。それでも人間は進歩を厭わないので、時代に合わせて最も良いあり方に考え方を変えていこうとしている。しかし、どうしても変えられない部分が生じてもおかしくはない。多くの人はそれに蓋をしているのではないか。気づかないうちに。

 私自身は、様々な差別はあってはならない、家庭のあり方を変えるべき、女性はもっと多くの分野で実力を発揮すべきと思っている。セクハラやパワハラは絶対に許されるものではない。しかし、小さい頃から「女性は結婚して家庭を守るべき」「女性は論理的な思考ができないから理系は無理」「セクハラはうまくかわしてこそ大人」と親や世間から何十年も聞かされてきた身として、どこかに染み付いた何かがあるのではないか、と心配になることもある。だから、この10年ほどはこれらについて意見を言うことを止めてきた。言葉の端々に出てしまう可能性があるからである。国や企業のトップやそれに近い人たちは私以上に過去の価値観を刷り込まれてきている可能性がある。あるいは周りにそういう人たちが多い可能性がある。だから、ついうっかり言葉として染み出してしまう恐れは十分にある。

 一方で、たとえ心のどこかに染み付いた差別意識があったとしても、行動に出すまでには間があるので、理性で抑えることは可能である。行動に結びつかない心の状態などは詮索する必要もないし、他人には関係ない。大抵の場合、世間はその人の行動を見て心の中の状態を想像するものである。演技ではないか、他人を欺いているのではないか、などと考える必要もない。死ぬまで演技をし、欺いたまま正しい行動をしていれば問題はないのだから。

 そろそろ2月も終わる。暖かい日があると同時に冬に逆戻りする日もある。手元に寒暖計を置き常に室温をチェックしているが、寒さへの感じ方や毎日測定している血圧の変化が、室温自体ではなくその変化に影響されることが良く分かる。人間は変化に敏感なのだ。さらに言えば、変化を恐れ安定を望む動物なのだ。しかし、人間はその意識や感情を隠し、あるべき姿を考えて行動を制御することはできる。

 私の七十数年間の行動を見れば、私が何を求めて何と戦ってきたかはおのずと分かる。本当は何を考えているのか詮索してもらう必要などない。さらには自分の口から話す必要もない。静かに私の行動を次の世代にバトンタッチできることを望むだけである。

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