年末になると私的な今年のベストテンを決める。気づいたのだが、今年は春と秋に2泊3日の一人旅をしていた。一昨年、昨年と旅行は控えていたのに、コロナが収束していないにもかかわらず2回も実行している。生活は確実にウィズコロナに変わっているのだ。こんな小さな発見は最近いくつもある。例えば、毎朝行っている血圧測定中に思わずあくびをしたら一時的に血圧が下がった(なぜだろう)。もう何十年も年賀状を受け取っているが、世間で言われるような「子供の写真でもやもやする、海外旅行の写真でイライラする」などは一度もなかった(あまり他人のプライバシーに関心がないのかも)。室温が22度を下回ると体は寒さ対策を始めるようだ(羽織るものは必須)。小さいことでも発見というのは結構楽しいもので、毎日何かないかと探している。
意識して発見を活かすという試みも行っている。大学の授業も何年も繰り返しているとマンネリになりがちで、そうなると講義をするのが楽しくなくなる。そこで、どの授業でも毎回必ずテーマを出してレポートを提出してもらい、そこから新たに発見したことを学生と共有することにした。どのクラスでも毎回発見があるので、話すのにも力がこもる。
レポートからの発見は2種類ある。一つは、私自身も気づいていなかった新しい見方が出てくることである。これこそ若い人の情報収集力や感性によるものだろう。もう一つは、同じ科目の前期と後期のたった半年の時間差で、レポートの内容に変化があることである。例えば、「メタバースでどのようなビジネスができるか」について、半年前はゲームやエンターテインメントが多かったのだが、最近では製造、流通、建設、医療等の多様な業界や業務が増えている。「自らデータを集めて分析する演習」でも、健康や生活に関わる個人的なものが減り、社会的な問題に関わるものが増えている。これは何を意味するのだろうか。
こうした発見に対して盛り上がっているのは私だけで、残念ながらあまり学生は乗ってくる様子が見えない。学生は発見よりもできるだけ楽に単位が取れることを優先して、コスパやタイパのよい受講を考えているのかもしれない。これも私にとっては重要な発見だ。75歳の非常勤講師の定年まであと1年、まだまだ授業に工夫が必要だということだろう。
コスパやタイパは否定するものではない。でもこれを重要視する場面は、若い人と私ではずれているかもしれないと気づいた。例えば、「努力しても叶わない人」と「最初から努力しない人」のどちらが最終的に良い人生が送れるだろうか。前者は一生叶わない可能性があるが次に叶う可能性はゼロではない。ただ、叶わなかった場合それまで費やしたコストは無駄になる。後者は叶わないだろうがコストゼロなので無駄はない。コスパ的には後者を選んでもおかしくはない。でもそれって夢のない人生を選ぶということではないのか。昭和世代にはやはり受け入れがたい。無駄な努力にも何かしらの意味はあるはずだ。
さて、私のこの1年の漢字一文字を選ぶとすればやはり『発』かな。「発見」「発進」「発信」「発展」など、いずれも将来に結びつく熟語が作れる。1年後には新たな「出発」もしなければならない。小さな発見の積み重ねが次への生きていく活力となることを信じて。
自分の信念に従って行動する「高い志を持つ、市場価値の高い技術者」を育成します。
「市場価値の高い技術者の育成」を目指して、
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
トップページ > コラム
小さな発見の積み重ね
2022.12.18