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自分だけの何かが大切になってくる


2022.12.11


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 クローゼットを開けてふと気づいた。この1年間、いやそれ以上の期間、一度もスカートを履いていない。家にいる時間が長いからではあるが、それでも以前は大学の講義や人と会う時はスカートにストッキングを履いていた。現在は、家にいるときはジーンズ、出かけるときはスラックスである。靴もウォーキングシューズになっている。

 外出時に電車の中を眺めてみると、老若問わず大半の女性がパンツスタイルである。靴もスニーカーが多い。くるぶしまであるロングスカートの人は見かけるが、膝あたりの長さのスカートの人は女子高生以下の未成年ばかりである。当然ながら、服装の男女差がかなり少なくなっている。マスクをかけていると男女の区別がつかないことも多い。

 服装の変化は当然のことのように思える。地震、鉄道事故、事件などに巻き込まれて思いもよらない場所で夜を明かすこと、長時間歩くこと、逃げ惑うことを考えれば、パンツスタイルにスニーカーの方が良いに決まっている。リュック姿にも合う。幼い子供連れなら尚更である。安全性と便利さを考えれば服装はおのずと決まってくる。

 テレビなどで海外の人たちの服装を目にすることが多いが、どこの国の人も暑い時はTシャツ、寒くなるとダウンジャケットを着ている。服装だけ見れば世界中同じである。これはグローバルなネットワークシステム、流通システムのお陰だろう。快適に過ごすためのアイテムが低コストで手に入れば、当然ながら多くの人がそちらを選ぶ。

 服装だけみても、男女差、国の差がなくなりつつある。さらに想像をふくらませてみると、言語の差もなくなっていくのではないか。なぜなら、言語の最大の目的がコミュニケーションの有効な手段であることとすれば、インターネットでコミュニケーションのスピードが格段に高まった時代にあっては、言語の違いは大きな障害となるからである。この障害を解消するためには高度な翻訳システムが有効だろうが、その機能には限界があるのではないか。もしも言語が「伝えやすい」「理解しやすい」「学びやすい」方向に進化していくとすれば、グローバルなコミュニケーションが当たり前の世界で統一化していくのは必然のように思える。千年先には地球上で共通の言語が話されるようになっているかもしれない。

 統一化されてくる世の中を考えた時に、次に求められてくるのが「個別の違い」である。個性とか他とのちょっとした違いが非常に大切になってくるのではないか。例えば、世界中の美味しい料理が「冷凍食品」で簡単に食べられる現代、母親が作ってくれたカレーが懐かしくなったり、正月の煮物や黒豆が無性に食べたくなったりする。今年、長い間実が実らないうちに落ちていた我が家の紅梅に、初めてわずかだが大きな実がなった。大切に収穫してほんの少しだが梅酒を作った。秋になって飲んでみたら、母が作っていたものと同じような味がした。後日、スーパーで買った梅酒と飲み比べてみたら明らかに自作の物の方が美味しかった。手前味噌と言うように自分で作るとかなりのプレミアがつくのかもしれない。

 地球レベルでの統一化が進むにつれて、ますます多様性や個性が重要になってくるだろう。そうでなければヒトの進化は止まり、地球は宇宙人に乗っ取られるかもしれない。

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