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本物と贋物の違いは何か


2017.04.30


イメージ写真

  私がいつも使っている近所のバス停の脇の公園に、3本の太くて高い木がある。冬には葉が全く無いが、初夏には緑に覆われる。そして大量の白い花をつけ、それが散る頃にはバス停は真っ白になる。近所の人たちがボランティアで掃除をしてくれているが、次の日には白い花びらに覆われてしまう。私は長い間、この木の名前を「エンジュ」だと思っていた。

 その木の一本が切られていた。切り株を見ると、中央に空洞ができている。自治会の回覧で事情が分かった。「バス停の横のアカシアが腐って倒れる恐れがあるために切った」とのことである。驚いた。あの木はアカシアだったのか。何で私はエンジュだと思っていたのだろうか。

 早速「アカシア」を検索してみた。写真を見る限りアカシアの花は黄色である。葉の形も違う。どう見ても公園の木はアカシアではない。では何なのか。そっくりの木はすぐに見つかった。「ニセアカシア」(ハリエンジュ)だった。自治会はニセアカシアをアカシアと呼び、私はハリエンジュのハリをいつの間にか忘れてしまったらしい。なお、日本でアカシアと呼ばれているものの多くはニセアカシアだということである。(Wikipedia)

 それにしても「ニセ」とはひどい。アカシアが本物で、ニセアカシアは贋物と言っているようである。しかし、ニセアカシアは現実に存在している樹木であり、しかもアカシアよりも存在感を放っているのだ。ちなみに、ハリエンジュならニセでないだけいいか、と思うが、言いづらいので(私のように)エンジュと言い間違える可能性は高い。ハリエンジュとエンジュも別物である。さらに、エンジュであっても言いづらいのでアカシアのように歌に歌われることも少ないだろう。

 そもそも本物と贋物の違いとは何だろうか。
大辞林第三版によれば、「本物」とは、
@ 本当の物。偽りでない物。⇔贋物「 −の味」
A もとの物。実物。 「 −と同じ大きさに作る」
B 本格的であること。 「あの人の絵は−だ」 「ここ二、三日の冷えこみは−だ」
 まず@では贋物を否定することで本物を定義している。ならば、贋物の贋物が本物か。ニセアカシアの贋物がアカシアというわけだ。AとBは贋物とは関係のない定義である。しかし、本物こそが真実である、という様子が色濃く出ている。

 我々は、それが本物であると聞いた時点で価値のあるものと思ってしまう。贋物と言われると無価値と見なしてしまう。骨董品や美術品であればそれも分からなくはない。しかし、現実社会では、本物と同じように贋物(と言われている物)も存在しているのである。さらに、別の視点で見れば贋物こそが本物かもしれないのである。

 何かのラベルを付けた時点でそれは本物となる。するとそれとは違うもの(似て非なるもの)は贋物と見なされてしまう。さらには、本物なら信用できる、贋物は信用できないという考えに結びつく恐れもある。ラベルに囚われていると、本当に大切なものを無価値と思い込んでしまう可能性がある。本物と贋物の議論は骨董や美術品の世界だけにしてもらいたい。

 無価値と思われていたものが価値を生むようになり、価値が高いと思われていたものが無価値になってしまうのが現在の世の中である。本物か贋物かという固定観念にとらわれることなく、柔軟な思考で本当の価値を見つけ出したいものである。



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