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ミスを犯すのを恐れてはならない


2022.09.25


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 最近、大学の授業のための資料を作成する際に間違いを見つけることが多くなっている。これで完璧と思っても、読み返してみると目次と内容がずれていたり、日付や時間が違っていたりすることに気づき、何度も修正作業を繰り返すはめに陥る。若い頃、と言ってもつい最近まで、ミスを犯すことが増えると「疲れているのだろう、休まなければ」と自分に言い聞かせていた。確かに、季節の変わり目は体調を崩しがちで、特に9月は夏の疲れも出る。やはりそのせいなのだろうと思う一方で、70歳を超えてからは「嫌だ、ボケたのかしら」と思うようにもなっている。情けなくて気分はますます落ち込む。

 なぜミスが多いのか、気を取り直して冷静に考えてみた。そこで気づいたのは、授業のやり方を変えたことの影響である。特に、毎回授業中に出すレポートの課題の位置づけを、「授業内容の理解度を深めるために行うもの」から「学生自身と私が新たな発見をし、それを次の授業で共有するために行うもの」に変えたことが大きい。それに伴って、レポートの課題を変え、締切りまでの期間を変えた。さらに、次の授業のための配布資料の形式も大きく変えた。短時間ですべてのレポートを読み、整理し、分析して新たな授業の資料にまとめるので、当然ミスも発生しやすい。原因がそれであれば、むしろ喜ぶべきことと前向きに捉えるべきではないだろうか。

 私の担当している授業は春学期と秋学期に2回繰り返すものと、秋学期のみのものがある。いずれも「情報」をテーマにした授業で、その前の学期のテキストは残っている。ただ情報技術は日々進歩しているので旬の話題を組み込まなければならない。それでも授業のやり方を変えなければテキストの大幅な改訂は必要がない。しかし、それでは授業はつまらなくなる。私自身がワクワクしない内容を話したところで学生が乗ってくるはずがない。自分でも納得できる授業にするためには、ミスを恐れずに変化させていく必要があるのだ。

 2年前のコロナの影響で授業がオンラインに変わった頃は、とにかく授業がトラブルなく配信されることばかりが気になり、ワクワクする授業にしようと考える余裕はなかった。1年前はハイブリッド授業で、やはりミスなく授業が進められることにどうしても注力しがちだった。今年度になって完全に対面授業に戻ったことにより、授業の内容を変えてみようとする意欲が出てきた。しかも、コロナ禍の経験から知ったデジタル化によるメリットも取り入れることで、コロナ前とは違った授業にすることができそうな期待は高まっている。

 同じことを繰り返し行っているとそれは習慣になる。その時点で、その行動の意味(なぜそれをしているのか)は忘れられてしまう。それが良い習慣(健康的に暮らすための食習慣や、運動、薬の服用など)なら喜ばしいことかもしれない。しかし、習慣化によって変化すべきものが停滞してしまう可能性がある。新しいものを探し出す力、柔軟に受け入れる力が失われる。ワクワクすることが減ってしまい人生はつまらなくなる。

 ミスをしてもいいではないか。ボケたんじゃないかと言われたって笑い飛ばせばいい。新しいことを始めれば躓くことはある。それを恐れていたら良い最期は迎えられない。  

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