エリザベス女王が亡くなった。大半の日本人が想っているのと同じ思いで受け止めている。ただしいて言えば、女王が私の98歳の母と2歳違いであること、チャールズ新国王が私と同年であることで、他の人より感じるところは多いかもしれない。特に、「私はどのような最期を迎えたいのか」というここ数年間考え続けてきた課題について参考となる答が得られるのではないか、という思いは強くなった。
女王の死に際して、ニュース番組では様々な生前の映像が流れた。私自身が強く感動したのは、亡くなる直前まで公務をこなしている映像と、21歳の時の将来に向けての覚悟について表明している映像である。この二つだけで、女王が21歳のときに表明したことを最期の日まで守り通したということが分かる。それをしっかりと自立した形で世界に示した。
一般女性であっても、この年代の人は何らかの運命を定められ、それに従わなければならなかった。専業主婦だった母も同様である。よく「本当は結婚などしないで仕事を続けていたかった。でも、結婚して子供を産み夫を支えるのが運命だと思わされて従った。」と言っていた。私が仕事を続けることを後押ししてくれたのは、戦後生まれの人には自分の意思で違った人生を生きて欲しい、という思いがあったからだろう。
21歳当時の私にも(小さいけれど)生きていく上での覚悟のようなものがあったと思う。それは、「家庭を持ちながら仕事を続けること、そのために自分で道を切り開くこと」だった。それが困難な道であることは当然知っていた。就職の際は入口の段階で男女は区別されていたし、職場での役割もはっきり違っていた。女性は男性社員が社内結婚するための相手候補者であり、管理職への道は全くなかった。私自身の覚悟を貫くために多くの抵抗があることも分かっていた。それでも意地でもやりとげようと考え、実行してきたのは事実である。それから50年以上経った今、ほぼ実現できたと思う。でも人生はまだまだ続くのだ。
私は何歳まで生きられるだろうか。まずは第一目標として100歳としよう。あと26年ある。理想の最期は何だろうか。「自立していること、自分の頭で考えその考えをまとめてきちんと伝えられること」が最低限必要な条件だと思う。これに向けてどんな努力をしなければならないだろうか。ふと、この夏取り組んできたこと、それをきっかけに大学の秋学期に向けて授業のやり方を変えてみようと思ったことに気づいた。これこそ21歳の覚悟の後半にある「自分で道を切り開くこと」につながるかもしれない。
この夏私がこだわったのは、分からないことを誰かに教わるのではなく自分で答えを探し出すことだった。そのために、1冊の本を読んで納得するのではなく何冊も関連する本を読んで自分なりの考えを組立てる努力をしてみた。そこで何度も新たなことを発見する喜びを得た。それに触発されて、「自分自身が考えていることを学生に理解してもらうこと」に注力するのではなく、学生とともに「新しいことを発見する」ことに注力するように秋学期の授業を変えてみることにした。授業の準備時間は増えるが自らも成長できるはずだ。
理想の最期を迎えるために、まだまだ切り開かなければならない道はあるのだ。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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若き日の覚悟と理想の最期
2022.09.18