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部屋にこもって思索にふける日々


2022.08.14


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 猛暑である。行動制限のない夏と言われているが、コロナの感染者数を見れば旅行はおろか近くの買い物すら控えてしまう。大学も夏休みなので、必然的に家にこもることになる。当初は退屈するのではと思ったが、とんでもなかった。終日、いつもの場所、つまり、キッチンに連結したカウンターテーブルにくくりつけられたような状態になっている。ここでは、食事もするし、パソコンも使うし、読書もする。そして、様々な思索にふけることもできるのだ。手元に寒暖計をおいて部屋の温度調節もうまくいき、結構快適である。

 ここ数日は、あるテーマについて自分の考えを何とかまとめようとしている。具体的な成果についてはまだ書ける段階ではない。関連する本を終日読み漁っていたのだが、疑問が次々と出てきて終わりが見えない。さらに関連する書籍を探さなければならないかもしれない。大きな問題は、その内容を理解するのが難しいことにある。しかも、さらに悪いことに、対立する学説とその研究成果も多く出ていて、両方を理解した上で自分としての立場を見出そうとしているので、困難さは2倍になっている。

 これまでなら、ネットを検索して様々な人の記述を参考にしてそれなりに自分の意見ぐらいは出せた。今回はそれがしづらい。なぜなら、間違った解釈がネット上に溢れていて、判断することが難しいからである。結果としてどんどん深みに嵌っていくことになる。

 さて、テーマくらいは具体的に書く必要はあるだろう。この2年間ほど進化論の本を読み漁りながら、なぜ人間のような弱い存在の種が地球で最強の存在になりえたのかを考えてきた。そこでたどり着いた結論が、人間は他の種とは違い、コミュニケーション能力を持っていることにあるということだった。つまり相手に意思を伝え、相手の意図を読み取り、協調しあって問題を解決していく力を遺伝的に獲得したからこそ、過酷な世界で生き延びられた、と信じるに至ったのである。

 最近になって、対立する立場の研究の成果が世の中では主流であり、提唱者が絶対的な権威を持っているということを知った。それが、言語学者ノーム・チョムスキーの「生成文法」の理論である。彼によれば、人間は進化の過程で生得的に文法を処理する能力を身に着けたという。コミュニケーションや言葉の意味は後から出てくるものらしい。チョムスキーが言語学の権威であることは十分承知していたし、かつて私が担当した大学の授業でも取り上げていたが、進化論や脳科学にまで影響力を与えていたとは知らなかった。一体、対立する論点は何なのか。私の直観的な信念は間違いなのか。それを明確にするのが今回のテーマである。4日を過ぎた段階で、ようやく論点が見えてきたような気がする。

 さて、喫緊の課題がある。こうしてカウンターテーブルにしがみついていたために、足のむくみが目立つようになったのだ。熱中症は怖いが少しでも歩いて汗を流す必要がある。娘からもらった日よけ帽子、2年前に誰かにもらった「ひんやりマスク」と自分で購入した「冷感ブラウス」で短時間ウォーキングをすることにした。歩きながらそれまで読んだ内容を整理し、自分の考えをまとめる。この繰り返しがまた楽しい。

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