2017年4月11日の日本経済新聞の朝刊の一面に、次の記事が掲載されていた。
「AIと世界 今そこにある未来 ⇒1 仕事が消える日」である。インドITサービス大手のインフォシスでAIの導入により8000人分以上の仕事が消えた、という事例を挙げ、AIで職を失う人が増える可能性を述べている。これは情報化社会について学ぶ授業で使えそうだ、と切り抜いた。
新聞をめくっていくと、次の記事が目に飛び込んできた。
「人手不足経済に打撃 生産性向上急務に 女性の労働参加も課題」である。国立社会保障・人口問題研究所が4月10日に発表した「日本の将来推計人口」の資料に基づき、生産年齢人口の大幅な減少傾向への対策を講じる必要性を述べている。これも、これからの働き方について学ぶ授業で使えそうだ、と切り抜いた。
同日発行の同じ新聞の2つの切り抜きを並べてみて、思わず笑ってしまった。一方で仕事がなくなる(仕事を失う人が増える)と言い、一方で働き手が減ると言っている。プラスマイナスでゼロである。生産性向上が急務であれば、AIの研究開発を進めて、生産性を大幅に向上させればよいではないか。それで人が余っても、いずれは生産年齢人口が減るのだから調整できる。これで一件落着、問題解決だ。でも本当だろうか。何かが違っている気がする。
最初に挙げた「仕事が消える日」の記事の後半には、AIが新たな職場を生み出すことが書かれている。既存のスキルにAIを組み合わせた仕事である。でもその仕事につくためにはAIを使いこなせる人材にならなければならない。誰でもできるというわけではないだろう。
2017年3月15日の日本経済新聞には、次の記事があった。これも授業で使えそうなので切り抜いておいた。
「断絶を超えて3 AI襲来眠れぬサムライ」である。ここでのサムライとは高度で専門的な知見を持つ「士」業を指している。大量の資料の調査、分析、問題発見などはAIに代替可能である。従って、それを主体にした仕事はAIに取って代わられるということである。ここでも、後半にはその解決策として、知識から知恵へ、つまり、顧客と一緒に知恵を絞る仕事へと変えていく必要があると述べている。働く側も変化していかなければ新たな仕事には就けないということである。
AIによって失われる仕事があっても、新たに生まれる仕事がある。新たに生まれる仕事の多くには、高度な科学技術の専門性が求められる。ここで重要なのは、新たに生まれる仕事が、失われた仕事とは全く違ったスキルを必要とするということである。また、AIにはできない仕事は残る、という考え方もある。例えば人とのコミュニケーションを必要とする介護や保育や幼児教育などである。これらは残るどころか仕事は増える一方である。これも誰でもできるものではない。人間には各々違った資質や性格がある。向いていない仕事、興味の持てない仕事を無理にさせようとすれば、仕事の質や生産性が落ち、却って社会に害を及ぼす結果になりかねない。
数字合わせでは解決しないのが仕事と働く人の関係である。これからは60歳、あるいは65歳でリタイアするわけにはいかない時代に入る。人間は体が続く限り働き続ける必要がある。であればなおさら、自分に合った仕事、つまり、自分の力が活かせてやりがいのある仕事をしたいではないか。
ではどうすればよいのか。私が考えるのは、ちょっと先のAIに負けないスキルを身に着ける努力をすることである。AIが人間の知能を超える日を想定する必要はない。ほんの数年先を見越して人間にしかできないことを追求していけばよいのだ。今後AIによって生産性が上がれば、週に2日くらい働いてあとはのんびりとできる生活が待っているかもしれない。それであれば生涯現役で働くことも可能になるのではないか。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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補完関係であっても問題は解決しない
2017.04.23