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私にとって8月は特別な月


2022.08.07


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 日本人にとって8月が特別な月であることは疑う余地がない。6日、9日、15日は特にそうである。第2次世界大戦が終わってから生まれた私が来年には後期高齢者になるのであるから、大半の日本人に戦争の記憶はないのだが、それでも8月になればあたかも経験したかのように胸が痛くなり、二度と戦争を引き起こしてはならないと誓う。

 8月は、私の両親、2人の孫、そして私自身の誕生月である。暑さの中、各々が一つずつ歳を取る。7年前に亡くなった父は生後*年という形の歳の取り方ではあるが104歳である。母は98歳になる。孫たちの歳の取り方が、体の成長と同じように非常に速いと感じるのは当然なのだが、私を含む高齢者の歳の取り方もやはり速いと感じる。そしてまた(何とか食い止めたいと必死になってはいるが)身体の後退もずるずると進んで行く。

 当然ながら、私と孫たちの年齢差よりも私と両親の年齢差の方がずっと小さい。だから、8月になって孫たちの誕生日で昔の自分を思い出すことは殆ど無く、両親の誕生日で自分の今後のありかたについて考えることの方がずっと多い。それは、どのように生き、どのような形で死を迎えるのが理想的かである。具体的には、父が亡くなるまでの状況、母の現在の状況を参考にして、自分がどうこれから行動すべきかを考えることを意味する。

 母の誕生日は奇しくも終戦の日と同じ8月15日である。母は、終戦の日に21歳になった。十代から二十代にかけての最も若さを謳歌できたはずの時代を戦争で台無しにしてしまった世代である。私の父が亡くなってすぐに手足が不自由となり、手紙を書くことも電話を取ることもできなくなった。もう3年近く会っていないし、全くコミュニケーションが取れていない。母は誕生日を迎えて何を考えているだろうか。高齢者施設から時々送られてくる写真の中の表情を失った顔からは、何も伺い知ることができない。

 父は97歳で亡くなったが、その2週間前に幸いにも高齢者施設で面会できた。軽度の認知症ではあったが、私がその半年前に夫を亡くしたことをよく覚えていて、慰め、労わってくれた。私が幼かったころの近所の様子なども色々話してくれた。帰るときには、部屋の外まで歩いて出て見送ってくれた。もうその時点では心臓が弱っていていつ亡くなってもおかしくない状態だったのだが、最期まで気力を失わなかったのだろう。頑固で母や弟たちには大分迷惑をかけ続けていたが、それを抜きにすれば羨ましい最期だったと思う。

 さて、私自身はどうしたいのか。私の希望は、父のように最期まで自力で動き、少々認知症があってもきちんと意思を伝えられる状態でいたいと思う。なぜ父はそれができたのか。多分、技術者として90歳まで現役でいて、細かい機械の操作をし、論文も書き、体も頭もフル回転させていたからだと思う。勿論、他人に対する厳しい態度や頑固さなど嫌な面は多かったのだが、それもひょっとしたら自立を助けていたのかもしれない。私が真似したいのは前者、つまり死ぬまで体と頭をフル回転することである。

 この夏は、6台のパソコンのお守りをしつつ、9月からの新学期に向けてテキストの全面改訂を行っている。学会誌をめくって技術の進歩の速さに焦りを感じながら。

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