トップページ > コラム

断捨離はしないことにした


2022.03.27


イメージ写真

 この数年間、何かにとりつかれるように「家の中の物を捨てていかなければならない」と思い続けていたような気がする。「終活」という言葉が目にちらつき、この歳になったら身の回りの物を整理して必要最小限の物だけ残して始末してしまい、静かに余生を送るのが正しいあり方、と思わされてきたのではないだろうか。しかし、その気持ちとは裏腹に物は捨てられず、「暑い」「寒い」「腰が痛い」とできない理由ばかりを並べ立ててきた。なぜできないのか。最近気付いた。私の心が強く抵抗している。つまり、やりたくないからなのだ。そんなとき、毎週散歩の途中に立ち寄る大型書店の新書本コーナーで、1冊の本が目に入った。五木寛之著の「捨てない生きかた」である。捨てることばかりに囚われてきた自分にもう一度問いかけた。なぜ捨てなければならないのか。それが幸せなことなのか。

 築45年の家には物が溢れている。でもごみ屋敷になっているわけではない。4人で暮らしていた一戸建てに一人でいるのだから、寝る場所がないわけでもない。子供たちが将来帰ってくる可能性は無いので、部屋を空ける必要もない。コロナ渦もあって訪ねてくる人もいない。つまり、置かれている物で困っているわけではない。

 よく見てみると、あるものは全て思い出の品なのである。古くは60年以上前に親が貯金をはたいて買ってくれたピアノ、親が誂えてくれた着物、夫が初めてプレゼントしてくれたワンピース、家族の写真アルバム、旅行先で買ったお土産、子供の高校時代の制服、などなど世の中では価値のないもの(売ってもお金にならないもの)でも、私にとっては全てがお宝である。今の私は将来の夢を追うことの方に関心があるので、それらを眺めて思い出にふけるということはない。しかし、建物も含めてこれらの品物が無くなってしまったらと考えた時に、自分自身のアイデンティティや生きてきた証が失われてしまうことに気づいた。

 一方で、最近増えた品物は殆どない。買うものは食品を除けば本ばかりである。外出しないので着るものも新しいものは必要がない。仕事で必要なノートパソコンや、首と肩こり用のマッサージ器、体組成計が新たに増えたが、いずれもコンパクトで場所は取らない。何より、欲しいものがあまりないのだ。株主優待でギフト券を貰ったが、買いたいものがどうしても見つからないので孫の進級祝いにあげてしまおうかと思っている。つまり、これから物が増える要素はあまりないと言うことである。古いものを捨てる必要はどこにもない。

 思い出すのは6年半前に97歳で亡くなった父のことである。認知症と言われていたが、亡くなる半月前に会ったときは、私のことは勿論、私がその半年前に夫を亡くしていることをはっきり覚えていて慰めの言葉をかけてくれた。さらに、私が生まれた頃のことをかなり詳細に話してくれた。一方で、一緒にいた私の長女(つまり孫)のことは全く分からず、何度も「あんたは誰だ?」と聞いていたのでやはり認知症だったのだろう。人間の記憶というものの力を感じた。人間は最期まで思い出とともに生きていくのだ。

 我が家は、家族のそして何より私自身の人生の記念館であり、そこにある物は重要な記念物なのだ。残せる限り残していきたい。断捨離はしないと決めた。



コラム一覧へ