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迷い道うろうろ


2022.02.20


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 コロナ渦に突入して2年以上が経った。高齢者のフレイルが問題になる中、私の健康状態はコロナ前よりも良くなっている。明らかに毎日2時間以上の速足ウォーキングのお陰である。夜よく眠れるし、食事も美味しい。私のウォーキングは、5種類のコースを日替わりで歩くというものである。用事のある日や悪天候の日は休むので、丁度、1週間おきに同じコースを歩くことになる。それでも2年も続けていると、コースの内容にも飽きてくるし、楽しさがどんどん減ってくる。そこで様々なアレンジを行う。その一つが、知らない道に意識的に迷い込んでいくことである。本人は迷うのを楽しんでいるのだが、他人が見ればただの徘徊老人かもしれない。殆ど誰にも会わないので気にしないことにしよう。

 私は人並み以上の方向音痴である。道路は真っすぐではない。地図は持っていないし、あえてスマホも見ないことにしている。結果としてしばらく歩くと、自分がどちらに向かっているのかさえ分からなくなる。丁字路や十字路にさしかかると、さてどちらに行こうかな、と悩むことになる。判断基準などなく、勘だけに頼って決める。それでもいつの間にか見たことのある場所にたどり着くのが面白くてたまらない。

 家に帰るとすぐに地図を見る。どこをどう辿ったのかの確認である。次に歩くときは周囲をよく確認する。それにより、脳内に新たな地図がしっかりと描かれることになる。こうして散歩コースのアレンジ版が出来る。楽しみはまだまだある。それは、ルートを反対向きに歩くことである。全く違った景色が味わえるし、思わぬ発見がある。

 先月、雪で滑りそうな道を避けて知らない道を通った時、不思議な施設を見つけた。開かれた門の奥に大きな祭壇のようなものがあり、沢山の花が飾られていた。看板は見当たらない。新興宗教の教団施設か何かなのだろうか。ある日、逆方向からこの道を通ると、大きな看板が目に入った。何と、ペットの霊園だった。あの祭壇はペットの合祀墓だったのか。道理で家族連れなどがよく出入りしていたわけだ。その後は祭壇を見るたびに、7年前に亡くなった愛犬がそこにいるかのように思えてほっこりした気分になる。

 3週間前、コロナワクチンの追加接種を終えたばかりの知人と会話する機会があった。私が予約していた自衛隊の大規模接種会場での接種だった。話は、接種券の配送、予約の状況などに及び、「結局、コロナワクチン接種に関しては地域差や個人差があって、他人の話は役に立たないよね」ということになった。自分の接種日がやってきた。過去2回と同じ会場だし、服装も十分工夫したし、余裕をもって会場にでかけた。混雑していたけれどスムーズに接種を終え意気揚々と会場を後にした、はずだった。しかし、何かおかしい。周囲の景色が違う。とたんに徘徊老人になってしまった。うろうろするうちに地下鉄の駅に気づいた。何と大手町ではなく竹橋ではないか。慌ててもと来た道を戻った。ふと、先日の知人の言葉を思い出した。「大規模接種会場は、今回は入口の反対側にテントがあって、最後はそこを通る」と言っていたではないか。出口が逆になるということだ。他人の話は役に立たないなんて言って申し訳ない。これからは、話は最後までよく聞こう。迷わないために。



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