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思い出話では今の問題を解決できない


2022.02.13


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 私が仕事や子育ての両立に関する過去の経験を若い人たちに語ることを止めようと思うようになったのは65歳頃からである。それ以前から自分の言葉が伝わっていないと感じることが多くなっていた。それでも聞かれたら答えようとは思っていたが、自分の子供からでさえ聞かれることも無くなっていた。その原因を考えてみたら、あることに気づいた。過去の経験を語ると「思い出話」になる。そしてやや誇張した形で「周りの理解が得られなくて苦労した」「それに比べて今は恵まれている」とつながってしまう。アドバイスは精神論にとどまる。聞く側からすれば、当然「なんだ、自分の自慢話か」と思える。今の自分の悩みには共感してもらえないだろうと結論付けられてしまうことになる。

 大正半ばに生まれた私の父は10人兄弟だった。そのため高等小学校までしか通わせてもらえず、その後は働きながら夜学に通った。その努力の甲斐あって、工学博士となり技術者として大きな成果をあげた。子供の頃はその苦労話を何度も聞かされた。最後は、明るいうちに学校に通えることに感謝せよ、ということになった。正直なところその話を聞くたびにうんざりした。確かに父の苦労、それに耐えての努力、そこからの這い上がりは立派である。それに比べれば、急成長を遂げている戦後の昭和を生きる私たちが幸せであることは確かであった。でも、女性だということで好きな学問、やりたい仕事が制限され、結婚することが最終目標であるような生活に苦痛を感じる「やり場のない閉塞感」は別問題である。「過去より良くなっているのだから我慢しろ」では何も解決しない。当時の私はそう感じていた。最近になって、同じことを自分もしているのではないか、と気づくようになったのだ。

 「『悪い』と『良くなっている』は両立する」は、ベストセラーとなった「ファクトフルネス(Fact Fulness)」(ハンス・ロリンズ著、日経BP社、2019)に書かれていた言葉である。様々な世界の統計データを眺めてみれば、世の中は確実に良くなっている。しかし、それは今が良い状態なので何もしなくてよいということではない。今には今の問題があり、それを解決する努力はしていかなければならない。それには今の問題をしっかりと把握する必要がある。さらに、それを解決するための取りうる最善の策を考えなければならない。

 私が現代の働き盛りの人たちに自らの経験を語るのを止めたのは、話が『良くなっている』で止まってしまうからである。なぜなら、働く現場から離れてしまってからは、働く人たちの悩みを実感することができなくなっていると感じるからだ。さらには、たとえその悩みが理解できたとしても、その最善の解決策についてアドバイスできる自信がない。私の過去の経験は多分役に立たないだろう。せいぜい言えることは、「学び続けましょう」「無駄遣いは止めて将来に備えましょう」くらいである。

 激安スーパーで買ったコーヒーを飲みながら幸せを感じている私にも悩みはある。将来いつまで自立して生きられるだろうか、ということである。そのために、ぜひ脳の仕組みを解明し、医療技術を進展させ、ロボットの力で介護を充実させてもらいたい。超高齢化社会の先頭を走る我々ならではの「将来の課題」を語ることなら自信があるのだが。



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