トップページ > コラム

朝食が美味しいと思える幸せ


2022.01.30


イメージ写真

 一人暮らしで引きこもり状態が続いている。大学の非常勤講師の授業も4月までは無いので、他人との会話の機会はほぼゼロと言ってよい。そのような中、感動したことを声に出して言うと気分もよくなることに気づいた。最近多いのは、朝食の後の「美味しかった、幸せ」と言葉に出すことである。この言葉には多くの意味が込められている。

 私の朝食はここ2年ほど変化していない。大きなカップにコーヒーを淹れ、多めの野菜とチーズを薄い食パンに挟んだサンドイッチ、そして炒った大豆にありものの食品を少しずつ。塩分、糖分、脂質を極力抑えた「映えない」食事である。それでも、本音で美味しい、幸せと感じられるのは不思議なくらいである。そこにはいくつもの感謝がある。

 一つ目は、ぐっすり眠れたことへの感謝である。そして快適な目覚めで「コロナにかかっていないらしい」と実感できることへの感謝、腰痛が起きていないことへの感謝、血圧測定をして正常値を維持していることへの感謝、そして、起床してから1時間半ほど日経新聞(電子版)を読みつつ来期の授業の資料を探し、終わった頃にお腹が空いたと感じられることへの感謝である。最後の事柄が重要で、空腹を感じることは健康の証なのである。

 健康以外にも「美味しかった、幸せ」と感じられる要素はある。朝食と同時にテレビをつける。朝食が終わるころBSで朝ドラが始まる。この長年続いているNHKの朝ドラを観るようになったのは70歳を過ぎてからである。それまではフルタイムで働いていたので、朝は3時45分に目覚まし時計を設定し、長距離通勤をしていた。だから朝ドラは土曜日にまとめて観るしかなかった。そもそも何十年も全く観ていなかった。この、朝食をゆっくり食べて朝ドラを観るというごく普通の生活が私には無かった。一人暮らしになり、70歳でフルタイムの仕事をリタイアして初めて経験した普通の朝食だからこそ、美味しく食べられることに声を出して感謝をしたいのかもしれない。

 思い起こすと、現役時代の食事の思い出が殆どないのである。仕事をしつつ子育てしていた時期は食事を座ってすることも殆どなく、台所で立って食べていた。子育てが一段落すると仕事の重みが大きく増したため食事への関心は薄れた。毎日何を食べていたのか、家族に何を食べさせていたのか、全く思い出せない。思い出せるのは休日に家族で外食したことぐらいか。むしろ、自分の子供時代の家の食事の方が印象に残っているくらいである。子供たちにとっては「おふくろの味」などどこの世界の話か、と思うことだろう。家族には迷惑をかけたと思う一方で、しかたなかったと開き直っている自分もいる。

 私が本当に空腹を感じているのは、最近の明け方の夢の記憶からも分かる。夢の内容はすぐに忘れるが印象が強いものはいつまでも残る。最近数か月に見たものの一つは、どこかの大規模なバイキング会場でお皿に大量の料理を乗せ、「もう終了時間です」と片付け始めたスタッフの横で夢中で食べている夢である。もうひとつはケーキバイキングで、やはり大きな皿に様々なスイーツを乗せ、さらにケーキに手を出している夢である。今朝は、何と鯛の刺身を食べていた。これって生きている証ではないのか。いや単に飢えているだけか。



コラム一覧へ