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今年も孤独を満喫したい


2022.01.09


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 この年末年始は、寒波のために殆ど家に引きこもっていた。実は昨年末に滑り込みで琵琶湖周辺の一人旅を計画していたのだが、案の定、大雪でキャンセルせざるを得なかった。関東も寒波で、いつものウォーキング以外は部屋でテレビを観る日々が続いた。毎日観たい番組を漁っているうちに、自分の好みの番組の傾向が分かってきた。

 あえて番組名は書かないが、誰でも知っているものばかりである。@私と同年代の男性が一人、昭和を感じる酒場で酒と料理を楽しむ番組、A中年男性が一人キャンプを楽しむ番組、B男性が出張先のレストランや食堂でひたすら食事をするだけの番組、C山の中にポツンとある一軒家の住人(一人暮らしや夫婦の高齢者)を訪ねる番組、である。それらに共通するのが、「孤独」「自律」その結果得られる「自由」である。これこそが私自身が求めていたものであると改めて気づかされた。

 「孤独」は孤立とは違い、感じ方の問題だと言われる。例えば、人混みの中にいても、友人たちの中にいても孤独は感じられる。そして、「孤独死」という言葉に象徴されるように、孤立とともに悪いことととらえられることが多い。とくに高齢者に対しては、孤立させてはいけない、孤独を感じさせてはいけないという風潮が強いように感じる。でも本当にそうだろうか。孤独の良い面はもっと強調されるべきではないかと思えてならない。それは自由に向かう道の出発点のひとつでもある。自由は柔軟性を生み、創造性にも結び付く。現代の日本にとって最も求められていることではないのか。

 孤独から自由に至る手前には「自律」つまり、「自らの行動や考えを自分で律すること」がある。上記の4つの番組ではそれを強く感じる。例えば酒場の番組では、料理や酒を提供してくれる人たちをリスペクトし、周りの常連客との交流も忘れない。一人キャンプでは、最後にすべての道具類をきちんと片付け、チリ1つ残さず立ち去る。出張途中の一人の食事では驚くほど沢山の料理を注文するが、全てをきれいに完食し「ごちそうさま」で締める。山の中の一軒家の住人からは、家を取り巻く自然と家を建ててくれた先祖への感謝の言葉が必ずのように聞かれる。そして、自由を得たことの満足感を見ている側にも与えてくれる。

 忘れてはならないのは、自由とは勝手気ままに好きなことをすることではないということである。自由の周辺には必ず支援してくれる人たちがいることも忘れてはならない。酒場の番組では、お勧めの料理を教えてくれるご常連が出てくる。一人キャンプもキャンプ場という安全な空間で安心してできることである。街中のレストランでの一人の食事でも、注文に迷ったときに隣の人が注文したものをのぞき込んで参考にしている。そして、山の中の一軒家の住人にも、自治体やボランティア、そして子供たちの支援が必ず存在する。逆に言えば、こういった支援があればこそ「自律」が出来るともいえる。

 さあ、私も今年は従来に増して孤独を楽しむことで自由を満喫しよう。外食やキャンプや山の中に住むことはできないが、一人旅はできる。昨年末に諦めた旅を3月に再チャレンジしようと思うのだが、すべてはコロナ次第である。大丈夫、人生は長い。



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