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なぜ私は今アクティブになれないのか


2021.10.31


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 かつて母は「70代までは積極的に動けるけれど、80代になると体が思うように動かなくなる」と言っていた。私はそれを信じて、仕事が大きく減る70代は思う存分好きなことをしよう、と期待していた。しかし70代になってみると、60代と比べてアクティブに動こうとする気力がかなり薄れていると感じられる。積極性が減少しているのだ。

 60代に入ったばかりの頃は、給料が半減したものの仕事の量も質も変わらず、会社の仕事をこなしつつ海外の学会にも積極的に参加していた。60代の後半は、大学の専任教授として授業をこなし、ゼミの学生を100人以上社会に送り出すことができた。その間に、夫をガンで亡くし、自分も入院手術をし、さらにはその後のリハビリに失敗して歩けなくなる、などということもあったが、見る見るうちに蘇った。仕事の休みの時には、痛む足を引き摺ってでも、何度も国内の各地を旅行していた。70代の今、何かをしようとすると言い訳を作って諦めてしまう。なぜだろうか。この3年半を振り返ってみてようやく気付いた。

 70歳になったばかりのときは張り切っていた。自治会の役員としてパソコンを抱えてあちこち走り回り、スマホ片手に行事の写真を撮っていた。その頃は大学教員のフルタイムの仕事が継続して残っており、両立させるのは結構ハードだった。さらに、国内の一人旅やバス旅も続けていた。変わったのはその後である。つまり新型コロナの蔓延が契機になったのは明らかである。自分ではコロナとうまく付き合いつつ健康に暮らしているつもりだったが、失われたものがあったのだ。ワクワクする感動やアクティブな行動力である。

 大学の仕事は非常勤に変わったがそれでも何科目かの授業を持っている。60代後半の頃は、毎日の授業に工夫をこらし、どうやったら理解を深められるだろうかと様々な取り組みをしていた。それはワクワクする経験でもあった。今も授業内容に工夫をこらしているのは変わらないと思っている。しかしワクワクがない。それよりも、「オンライン授業の途中で通信が切れたらどうしよう」、「オンラインの演習でパソコンが動かなくなってしまったらどうしよう」、などとそちらの心配ばかりが先に立ち、トラブルなく終わることが目標になってしまっている。それでいて疲労感は大きい。

 その他にも技術士事務所としての仕事も(わずかではあるが)ある。対面ではなくオンラインである。かつては会議の度に集まって顔を見ながら意見を交換していた。揉めることがあっても終わった時には納得感があった。そして、終了後は必ず飲み会があり親交を深めた。今は、会議の時間が来るとリモート会議にアクセスするだけである。ネットの負荷を軽減するために映像は出さずに音声のみ。しかも発言しないときは止めている。顔が見えず発言者の声だけでは、他の人がどう思っているのか推察はできない。それでも協議内容の意見交換は終わって結論は出る。時間通りに会議は終了し、退出をクリックして終わりである。達成感や満足感があまり感じられない。新しい発想が生まれた気がしないからである。

 アクティブさを失っては創造的なことはできない。これは単に70代の高齢者の私だけの問題にとどまらない。コロナの影響はじわじわと大きくなっているのではないか。



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