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父の食べたトンカツ


2021.10.10


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 この夏は籠バッグ(ストローバッグ)を使わなかったことに気づいた。ウォーキング以外の外出が少なかったからだろう。最近は籠バッグなど持っている人はあまり見かけないが、私は幼い頃とても憧れていた。最初は幼稚園に籠バッグを持って通うことに憧れたがそれは叶わなかった。小学生の頃には雑誌で紹介された「麦わら帽子で籠バッグを作る」ことをやってみたが、満足のできるものではなかった。数十年後、シニア世代になって遂に購入した。幼い日の憧れはこんな形で残るのだ。

 幼い頃の憧れと言えば「父が食べたという大きなトンカツ」に勝るものはない。まだ小学校に上がるか上がらないかの昭和30年頃、父が会社の取引先の接待か何かで出された「大きなトンカツ」について興奮気味で話していたのが今でも忘れられない。近所の総菜屋にはコロッケやトンカツはあったが、トンカツは殆ど食べさせてもらえなかった。お誕生日ぐらいだっただろう。でも父が言うのには、その時食べたトンカツは総菜屋のとは全く違う、大きくて、分厚くて、ものすごく美味しいものだったそうだ。それ以降ずっと、一生に一度でもいいのでそんなトンカツが食べてみたいと憧れていた。洋食屋の店先のサンプルや写真を見るたびに、大人になって実際にトンカツ屋でトンカツを注文するたびに、父の食べたのはこんなものだったのか、いやもっと大きくて分厚いはずだ、などと考え続けていた。いつしか空想のトンカツはとてつもなく大きくなり、遂に私は一生に一度の夢を諦めざるをえなくなった。最近は胃もたれがすることの方が気になるようになったからである。今は、美味しいものに憧れた幼い日を懐かしむだけである。

 本を通じて憧れたものもある。小学校高学年の時には、アルプスの少女ハイジを読んでスイスに憧れた。ハイジが山で食べていた山羊のチーズはどれほど美味しいのだろう。いつかきっとスイスに行って食べてみたい。本で知ったアルプスの山々、ハイジやペーターやクララやおじいさんの生活は、小学生の私の夢をかきたてた。しかし、初めて食べたプロセスチーズは苦くてちっとも美味しくなかった。大人になってブルーチーズというものを口にしたが、とても食べられるものではなかった。結局、未だにスイスには行ったことがない。ただし、チーズとの付き合いは大きく変わった。ナチュラルチーズは種類豊富に店頭に並び、プロセスチーズも驚くほど美味しくなった。高齢者の健康にもよいと聞き、毎日せっせと食べている。今ではチーズなしの生活など考えられない。

 絵本の世界も幼い憧れを生み出した。幼稚園時代に何度も読み返した絵本が「アラジンと魔法のランプ」だった。穴倉の中に輝く金銀財宝、お姫様の素晴らしい衣装の絵は何度見ても飽きなかった。金銀財宝なら桃太郎が鬼退治から帰るときの荷車にも乗っていたし、舌切り雀の良いお爺さんのつづらにも入っていた。でもアラジンの見た金銀財宝はその量も輝きも桁違いに大きかった。こんなものに囲まれた生活ってどのようなものだろうか、想像は膨らんだ。ただし、今は金銀財宝には興味はない。「魔法のランプ」が欲しい。さて何をお願いしようか。大きなトンカツが食べられる丈夫な胃袋かな。小さな夢だけど。



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