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無理せずありのままの自分で


2021.09.19


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 幼い子供たちが交通事故で命を落とすニュースを見聞きすることが多い。胸が痛み、私のような高齢者が代わってあげたほうがよかった、などと思う。最近、長生きするために努力をすることが目的のような生き方をしている自分を省みて、生きるのであればもっと社会に貢献しなければならないのではないか、と考え込むことも多くなった。

 社会への貢献と改めて言うのであれば、現在の状態では不足である。技術者であった自分なら最先端の技術を学びなおして世の中に役立つ研究が出来なければ、と思う。しかし残念ながら、理解力、集中力が若い時と比べて落ちているので、本を読んでも数式一つに引っかかるともう投げ出してしまう。つまり頭がついていかない。では、汗水たらして駆けずり回って人助けをしよう、と思っても、腰痛で庭の草取りや重いゴミ出しすら苦労しているのでは足手まといになる。結局、自分はダメだと落ち込むのである。

 ある日曜の夜、観たいテレビ番組もないので日本の宇宙開発についての特集番組をかけていたらそのまま眠ってしまった。はっと気づいてチャンネルを変えたところ、よく知った曲が流れてきた。歌詞で「桃色吐息」であることが分かったが、歌っているのが誰かわからなかった。目を凝らして見たらかつてのアイドル歌手のGだった。デビュー50周年だそうだ。もう高齢者ではないか。それにしてもなんて聴いていて楽なのだろう。心地よささえ感じる。次に歌った曲は、「ワインレッドの心」だった。はっきり言って驚いた。オリジナルな歌手の歌い方とは全く違って、むしろ淡々と歌い、歌詞もメロディーもはっきりと伝わった。そして、ここでも心地よさと肩の荷が下りたような楽な感覚が伝わってきた。

 正直なところ、Gについては興味もなく、評価もしていなかった。なんでアイドルが50年も第一線に居続けられるのか理解できなかった。しかしこの時、少し理解できるような気がしてきた。テクニックを誇示するでもなく、感動を押し付けるでもなく、ただ、自ら歌詞とメロディーをかみしめながら自分に合った歌い方で歌うことで、聴き手は構えることなく心地よく楽に聴くことが出来る。これがGのたどり着いた地点だったのだろう。それを見出すまでに本人がどれだけ努力したかは外からは分からないが。

 「誰かのために何かをする」とか、「社会貢献しなければ」とか、気負う必要はないのではないか。技術者だから最先端の技術に精通して何か新しいものを生み出さなければ、と必死になる必要もない。今の自分にできることを淡々とやっていけばよいのだ。

 例えば、現在非常勤講師として担当している授業の中で、新聞記事の「情報システム」に関するものを取り上げてわかりやすく解説するだけでも、情報化社会で若い人がどう生き延びていくか考えるきっかけになるかもしれない。50歳過ぎて大学院に社会人入学して学位を取り、会社を定年退職後に大学教員になった経験を学生に話すことで、「学びなおし」の意味を実感してもらえるかもしれない。私自身が気負って押しつけがましく主張することは、却って相手を追い詰めることになる可能性だってある。今の私は今の私としてありのままに振舞いながら、できることを探していこう。



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