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前回の東京五輪を私はどう見ていたか


2021.08.15


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 東京五輪は何とか無事に終了した。私自身にとっては期待通り、あるいは想定通りであり、特段の感動を覚えることはなかった。無観客で実施ということで、参加アスリートは力を発揮できる場を得られて良かったと思うだけである。ただ、57年前の前回の東京オリンピック当時も、同様にそれほどの感動を覚えた記憶はないのである。

 当時、私は16歳の高校1年生だった。母方の祖母の死の直後で、母は祖父の世話で実家に頻繁に行っており、父は海外出張等で家にいないことも多く、私は2人の弟たちの世話と家事と学校でかなり疲弊していた。オリンピックをテレビで観戦する余裕などなかったのではないか。印象に残っているのは、閉会式後に海外出張から帰宅した父に、友達のお父さんが閉会式のテレビを観ながら泣いていたことを報告したことくらいか。父は、その理由を「戦争で生き延びて戦後のつらい時期を乗り越えて、日本がここまで復興できたことに感動したからだ」と淡々と説明したが、さして共感しているようには見えなかった。

 確かに、女子バレーボールとかヘーシンク選手とかアベベ選手とかは思い出せるけれど、それは、その後の記録映画やオリンピックの時期になると必ず見せられる映像等で刷り込まれたものとも思える。ベルリン大会(1936)の「前畑がんばれ」と同様である。だから、私と同年の菅首相が言うほど私自身が感動していたかどうかは怪しい。

 前回の東京五輪をきっかけに日本の経済は上昇に向けて突き進んだように言われているが、それについても疑問に感じている。その時点ですでに上昇に向かっていたように思えるのだ。なぜなら、その数年前の私が小学生の頃から、技術者だった父の口癖は「日本で一番になれば世界で一番になれる」「機会が与えられればロケットだって打ち上げられる」だった。そのころには、父は自分たちが開発した電子顕微鏡を持ってヨーロッパやアメリカに売り込みに出ていた。東京五輪は日本の発展のきっかけとなった時点ではなく、発展の進捗を確認する時点だったように思えるのである。

 現在の日本は残念ながら、世界における地位がどんどん下降していっている。それは技術力や経済力だけではない。女性蔑視や差別発言にみられるジェンダー意識の遅れも同様である。今回の東京五輪では下降を食い止めてあわよくば上昇に転じるきっかけにしようという思惑が明らかに見えていた。この思惑は見事に外れてしまった。そもそも「お祭り」で盛り上げることのできるレベルの下降ではないのだ。これが前回との大きな違いである。

 父は先の戦争で同じ部隊の仲間の大半が亡くなったが自分は運よく生き延びることができたとよく言っていた。それが父の世代が猛烈に働いて日本の発展を進めてきたひとつの要因と思える。しかし、それを現代に当てはめることはできない。団塊の世代の私ですら、両親の自らを犠牲にしてまで頑張る姿を見て、より自分らしく生きる道を選んだのだから。現代は現代のやり方で上昇に向かうべきだろう。それには、過去の栄光を懐かしむのではなく初心に帰って人材を育成し、技術力を高め、世界の常識を自分のものとし、世界と戦う力をつけるべきなのだ。決して「お祭り」や「神風」に頼ってはならない。



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