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予想通りか予想外か


2021.07.25


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 いよいよ東京オリンピックの開幕だ。私自身は、オリンピックが無観客で開催されることを半年くらい前から予想していた。ただし、預言者ではないので「予想」と「希望」が混じっていたというのが本当のところである。「予想」の部分は、オリンピックは開催されるだろうということであった。長く企業で働いていたのでよく分かるが、始まってしまったプロジェクトは止めるのが非常に困難である。せっかく多くの資源を投入してここまでやってきたのに、ここで止めたらそれまでの投入分が無駄になる、と考えるからである。だから大赤字になっても突き進む。成果はうやむやになる。失敗から学ぶということがきちんとできれば少しは救われるのだろうが、大抵は、思い出したくないので葬り去られる。同様にオリンピックを止めるという選択肢はなく、何が何でもやるだろうと思っていた。

 「希望」の部分は無観客で行うということだった。開催するのであれば、これ以上被害を大きくしないためにも無観客でネット配信が望ましい。これは、結構早い時期に海外からの観客は受け入れないことが決まって実現しそうだった。ところが、国内の観客についてはいつまでたっても決まらなかった。残念ながら、第5波でのコロナ感染者の拡大が急速に進み、結局、ほぼ無観客になってしまった。というわけで、私にとっては予想通りだった。

 一方、半年前からみて予想外のことも起きている。私自身のコロナワクチンの接種である。1月、2月の頃には私自身はワクチンの接種をする気がなかった。理由の一つが、これまでインフルエンザワクチンすら打ったことがないことである。にもかかわらずインフルエンザに罹ったことはない。未知のものを体に入れるのはしばらく様子を見てからでもいいだろうと思ったのである。その後ワクチンの効果が分かってきたが意思は変わらなかった。私のような既往症も基礎疾患もない一人暮らしで他人との接触も殆どない高齢者が打つより、経済を回している中年世代、行動力のある若者世代が先に打った方がよい、と思ったのである。いずれにせよ、自分が打つとすれば全国民の最後、来年かな、と思っていた。しかし、実際には私自身はすでに2回の接種を終えている。

 私がワクチンを打つことにした大きな理由は、このままでは家族にも会えずにいる状態がいつまで続くか分からず、もう耐えられないと思うようになったこと、大学の講義が全面リモートから対面授業(ハイブリッド)に変わり、引きこもってばかりはいられなくなったことである。地元での接種予約はうまくいかなかったが、自衛隊による大規模接種が背中を押してくれた。個人の意思は結構柔軟に変えられるものなのだ。子供たちも第1回目の接種を終えたので、会える日も近くなった。果実は確実に手に入りそうである。

 さて、宇宙旅行ができる兆しが現れたとニュースになっている。膨大なコストをかけて、宇宙空間に到達してほんのわずかの時間「無重力状態」を経験するだけなのに、と横目で眺めている。まあ、現在の私には無縁だし、お金があって行けることになっても行く気にはならない。とはいえ、人間の意思なんて結構柔軟に変わるもの、と先ほど書いたばかりである。ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。でもないだろうな。



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