その日の朝はまとめた段ボールの束を2つゴミステーションに運び、家の中の掃除もすませた。ちょっと頭が重かったがどうということも無かった。でも、いつものウォーキングは疲れを感じて半分で切り上げて帰ることになった。データをまとめる仕事を始めたが、集中力が続かない。気分転換に読書を始めたが、頭に入らない。体がだるいし微熱もある。昼食後、常備していた解熱鎮痛剤を飲んでベッドにもぐりこんだ。原因はもうわかっている。前日に新型コロナワクチンの2回目の接種をしたからである。副反応なんて若い人だけかと思っていたが、私のような高齢者にも来るとは。嬉しいなどと言っていられずしばらく眠ることにした。
横になってから4時間後、霧が晴れたように全ての症状が消えていた。うそのようだった。たった半日で終わったのは年寄りだからなのかもしれない。肩の痛みは少し残っているものの大して気にはならない。いつもの生活が戻った。しかし、全ての霧が晴れたわけではない。心の中はどんよりと曇っている。
コロナワクチン接種の予約が取れた直後は、つい頬がほころんだものだった。夏になれば孫たちに会える。高齢者の接種が進めば、年寄りが県外に旅行するのも大目に見てもらえるかもしれない。そろそろ具体的な活動計画も立てようか。しかし、その頬の緩みも次第に引き締めざるを得なくなってきた。東京都は緊急事態宣言、私の住む県は蔓延防止措置が夏の終わりころまで続くことになってしまったからである。ワクチンを接種したところでメリットがあまり感じられなくなっている。
ワクチン接種後もマスクを着けなければならないことには(もう慣れたので)抵抗はない。一人暮らしなのにいつの間にか100枚以上も不織布マスクが備蓄されている。もう1年半も外食していないので飲み会ができないのも我慢できる。子供たちのワクチン接種が終わったら孫たちとも会える。とは言え、この閉塞感は何なのだろうか。
スポーツ好きの人たちは、メジャーリーグの大谷選手の活躍に熱狂し、次は(何だかんだ言っても)オリンピック選手の活躍に感動して憂さを晴らすことだろう。でもそれが終われば現実に引き戻されるはずである。残念ながらそれまでに高齢者以外の人たちのワクチン接種は終わっていない。たとえ緊急事態宣言や蔓延防止措置が解除されたとしても、またまたリバウンドが起きて同じことが延々と繰り返されることだろう。
私たちには夢や希望が必要なのだ。それがあれば頑張れる。しかし、現在あるのは自粛の要請とそれを徹底させるための締め付けだけではないか。飲食店が酒類の提供を止めればそれに反する店が出るのは予想できる。路上飲みが増えるのだって止められないだろう。これから先、要請と国民のワクチン接種だけでこの非常時を乗り切ろうというのか。まるで全国民が蜘蛛の糸にすがっているようなものである。
今必要なのは、コロナ対策を根本から見直して危険のない行動を明確にし、できることを増やしていくことではないだろうか。科学者、医療の専門家の皆さん、ぜひ、様々な角度から研究して、科学的な根拠に基づいた提案をしてもらえないか。繰り返しになるが、私たちには夢や希望が必要なのだ。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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夢や希望が必要なのだ
2021.07.18