まだ梅雨入りもしていないのに真夏がやってきそうな6月のある日、肌身離さず使い続けている腕時計に違和感を抱くようになった。この時計は8年ほど前に購入した電波ソーラー腕時計である。大きな文字盤と長針と短針でアナログの時計のように時刻を知ることができ、小さな窓から、月日、曜日、時分、秒を切り替えながらデジタル表示で見ることができる。ワクチン接種の予約を取るときも、秒表示が59に変わるとすぐにサイトに入るボタンを押した。多分、11時00秒だったはずだ。違和感というのは、針の位置とデジタル表示にずれが見られるようになったということである。測ってみると20秒から30秒、針の方が遅れていた。さてどちらが正しいのか。寝室にある電波式の目覚まし時計と比べてみると、何とこちらはまたまた違う値を示しているではないか。混乱してきた。
どれが正しいかは、テレビの時刻表示との比較ですぐわかった。腕時計のデジタル表示である。となると、腕時計のアナログ表示(長針と短針)、目覚まし時計の両方を正しいものに合わせなければならない。どちらも電波時計なのだから、とReceiveやAdjustボタンを押してみたが全然変わらない。マニュアルがあればよいのだが無くしてしまった。
腕時計の方は日本の有名ブランドのものだったので、メーカー名と(辛うじて読めた)型番を使ってネットで検索してマニュアルを入手できた。針とデジタル表示のずれ(問題は針の方にあり)の解消法もちゃんと載っていた。簡単な操作で合わせることができた。
目覚まし時計の方はちょっと困った。あることの景品で貰ったものであり、国内のメーカーの製品ではなさそうである。ひょっとして、とクローゼットの中を漁ってみたら箱が出てきた。中には説明書も入っていた。助かった。電池を取り出して30秒後に再度入れると時刻が設定されるようだ。しかし、やってみても1月1日の0時となるだけで動かない。うまくいかないときは手動で合わせる、とあったので、何とか近い時刻まで手動で入力し、電波の力で調整して正しい(つまり、腕時計と同じ)時刻に揃えることができた。
6月と言えば「時の記念日」が思い出される。確か6月10日だった。小学生の頃には一斉に指導されたものだ。最近は殆ど聞かない。時計を持たない若者も増えているし、約束の時刻に遅れても携帯電話やLINEで連絡も取れるので時刻合わせは意味が薄れているのだろう。時代によって人々の感覚が違ってくることのひとつの現れかもしれない。
先日、党首討論会で菅総理が57年前の東京オリンピックの思い出話をしたことが話題になった。このニュースをテレビで見て疑問を持った。この思い出話に共感する人がそれほど多くいるのだろうか。菅総理と同年齢であっても私は共感しなかった。57年前には、両親世代はテレビの前で涙を流し、私たち若者はまだ見ぬ世界の国々に思いをはせた。それは、過去のつらい戦後の生活からの脱却と未来に向けての大きな希望があっての中でのオリンピックだったからである。現在は全く逆である。私たち世代は昭和の時代の輝いていた頃を懐かしみ、若い世代は上がらない給与と不安定な雇用による将来への不安と、自粛生活による疲弊で苦しんでいる。同じような感動など期待できるとは到底思えないのだが。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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電波時計の時刻を合わせる
2021.06.13