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優先という言葉に心乱される


2021.05.16


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 新型コロナ対策は、はっきり言ってもう打つ手はなく、最後の砦のワクチン接種に託される状況になっている。高齢者への接種が本格的に始まり、予想通り、予約ができない事態が多発している。私が他人事のようにこう書いているのは、私の地元では5月の下旬から予約開始、6月上旬から接種開始ということでこの混乱がまだ起きていないからである。同じことが起きるのは火を見るよりも明らかである。高齢者の現在の最大の関心事はワクチン接種であり、予約を取るためには一族郎党が電話をかけまくり、ネットにアクセスしまくるからである。いつかは必ず接種できるのだからとじっくり構えるか、できるだけ早くと焦るか、予約が始まった段階で自分がどう行動するかはまだ不明である。

 このような事態で東京五輪ができるのか、も大きな話題になっている。正直なところ私は五輪には全く興味がない。やるなら無観客にしてほしいだけである。オリンピックで海外から10万人が入ってきても、一時的に日本の人口が10万人増えるだけで、感染対策、医療体制は国民と同じでよいと思っている。人間の命は全て平等に守られなければならないからである。日本の「おもてなし」ができないのは申し訳ないが、我慢していただきたい。  こんな私が異常に反応してしまう言葉がある。「優先」である。これを聞くと「劣後」が連想される。「優先劣後」は金融や経済の話題で出てくる言葉であるが、私にとっては日常のすべてのことが「優先劣後」に当てはまるようにみえる。つまり、何か(誰か)を優先的に扱えば、それ以外のもの(人)は劣っているものとして後回しにされることになる、と思えるのである。それは「人はだれでも同じように尊重されなければならない」という平等の精神に反するのではないか、と身構えてしまうのだ。

 同じように「〇〇ファースト」も私の心を乱す言葉である。「アスリートファースト」と聞けば、「アスリートでない人は後ろに引っ込んでろ」と言われているようあり、「五輪ファースト」と聞けば、五輪選手でない人の命は二の次のように聞こえる。おそらく多くの人にとっても、「優先」や「ファースト」は心を乱される要因となっているのではないか。

 「トリアージ」という言葉を知ったのは、地域の防災訓練のときだった。色分けした札を付けた被災者役の人を示しながら、誰をどのように治療するか、しないか、をとっさの判断で決めていくという説明に納得したように思う。しかし、最近になって聞く「トリアージ」はとても納得などでは収まらない生々しさである。病床がない状態であれば、誰を入院させ誰を自宅に待機させるかは、判断ではなく運で決まるように見えてくる。「優先」されなければ「劣後」どころではなく命の危機に直面することになる。

 五輪選手に優先的にワクチンを接種させても日本国民全体には殆ど影響はない。それでも国民はモヤモヤする。「国民は劣後」の感覚を抱く。東京五輪も隔離だけはしっかりして、感染したら特別扱いせずに日本人と同じ治療を受けさせれば良い。特別扱いしてもらわなくては嫌という人は、多分、出場を止めると思う。「優先」「ファースト」「トリアージ」には気を付けなければならない。これらに敏感に反応しない日々は来るのだろうか。



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