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ニューノーマルの新学期


2021.04.18


イメージ写真

 桜が散り、早くもハナミズキやツツジがあちこちで咲きだした4月上旬、学校の授業が始まった。近くの小学校から、新しいランドセルを背負って胸に花飾りを付けた小さな小学生の一群が、親たちと一緒に帰ってきた。入学式だ。それを見て、私の孫もこんななのかな、とちょっと涙が出た。なぜなら、一年前の第一回目の緊急事態宣言の頃は、孫が4月に入学できないのではないかととても心配していたからである。娘から送られてきた入学式当日の写真を見て、良かった良かったと胸をなでおろした。

 私が非常勤講師を務める大学も、それより前に授業が始まった。ハイブリッドという方式で、半数の学生は大学のキャンパスで講義を受け、その映像を残りの半数がZoomでリモート聴講するものである。私にとっては1年3か月ぶりの教室での対面授業となった。学生の半数しか登校していないので通常よりは静かではあるが、新学期なのでやはり学生は多い。1年以上引きこもっていた私は、当初は恐怖心が拭えなかった。しかし、教室に入ったらそれはすっかり消えた。昨年の、空気に向かってしゃべっているような全面リモート授業とは違う。確かに学生が目の前にいる。講義資料を共有しているためリモートで参加している人を見ることはできなくても、参加者数をちょこちょこ確認すればここにいない学生の存在が実感できる。居眠りしている学生を見るのすら嬉しくなってしまった。

 もちろん、2年前と全く同じというわけではない。全員がマスクを着用しているし、学内に入るのも制限が強い。ハイブリッド方式のため授業で使う機器の数が多く、設定に時間がかかる。パソコンにつながるケーブルが多くてひっかからないように気を付けなくてはならない。マスクをかけてしゃべるので聞こえていないのでは、とつい声が大きくなる。よく考えればマイクを使っているので音は拾えているはずなのに。帰る頃には声が嗄れてしまう。それら全てに慣れなくてはならない。ニューノーマルの新学期なのだ。

 大阪ではコロナの第4波の真っただ中で、大学はまた全面リモートに戻されそうだとの報道がある。現在のところ首都圏では対面授業が進んでいる。しかし、コロナも変異株に変わりつつあり、若い人の危険は増大している。首都圏の学校は果たしてどうなるのかとても不安である。一日でも長く対面授業ができるようにと祈るばかりである。

 このような状況下で、高齢者の私自身の不安はないのか。今のところ「もう腹をくくった」と言わざるをえない。家の玄関を一歩出たら(たとえ庭にいても)不織布マスク着用、外食一切せず、家族にも会わず、空いている時間帯にしかスーパーは利用せず、キャッシュレスを徹底し、体を鍛えるために毎日2時間半のウォーキングを欠かさない。これが私のニューノーマル生活である。これ以上何をしろというのだ。

 自治体のホームページでワクチン接種情報はチェックしている。私の場合は既往症も基礎疾患もなくかかりつけ医を持たないので集団接種を狙っている。そのどの会場の接種曜日も大学の授業とかぶっている。うまく8月の夏休みに接種できればよいが、それを外すことになったら来年になってしまう。というわけで、自分の身は自分で守るしかないのだ。



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