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幼児のままではコロナに勝てない


2021.04.04


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 私の5つの散歩コースのいずれにも公園や学校などがある。毎日2時間半のウォーキングを続けているが、今年くらい桜を堪能できたことはない。最近はどこの公園にも桜はある。学校は通学路から桜並木になっているところも多い。しかも、早咲きの桜を含めてかなりの種類があり、2か月ぐらいはどこかで様々な色の桜が咲いている。というわけで、2月から4月にかけて、毎日桜並木を歩いたり桜の下で休んだりしながら過ごした。もう桜でお腹いっぱいである。

 私の散歩は密になることなどない。もちろん会話も食べ歩きもない。それにしても、テレビのニュースで流れる桜の名所の人混みは密そのものではないか。これだけ普通の地域に桜があるのに何でわざわざ密になる「名所」に行かなければならないのか。ずっと不思議でならなかった。テレビの画面を見ていて気付いた。この人たちは桜を見に来ているのではなく、友達や家族と一緒に過ごすきっかけとして、春のウキウキする気分を盛り上げるBGMとして、桜を使っているのだ。

 散歩をしていて保育園や幼稚園の側を通ると気づくのだが、幼児たちは大声を上げよく走り回る。小学校の側を通ってもそうである。高校の運動場でも大声と走り回りは同じである。それが春になって一段と大きく、激しくなっている。やっぱり人間は動物なのだ。春になれば、本能的に大声を上げたくなり走り回りたくなる。繁華街で夜に騒ぎまわる若者たちも同じなのだろう。私自身も家族に会いたい、一緒に食事をしたい、旅に出たいと強く思う。

 こうしてみると、コロナの第4波が来るのも当然かと思われる。冬に押さえつけられていたものが春の暖かさで一気に解放されたのだから。もうこれは止められないのではないか。それでは、私たちは、ワクチン接種の順番が回ってくるまでコロナに出会わないことを祈るしかないのだろうか。何だかそれも悔しい。人間はウィルスにすら遠慮して逃げ隠れしなければならない弱い存在だと認めることになる。我々には、進化の過程で身に付けてきた生き延びるための知恵が必ずあるはずである。さらに、幼児から大人に成長もしている。

 幼児は本能の赴くままに大声を上げて走り回る。それが成長するにつれて時と場所を考えて行動するようになる。小学生だって、校庭では走り回るが車の通る道路ではしない。大人ならもちろんそうだろう。問題は、正常な判断ができるはずの大人が何らかの原因でそれができなくなることである。その例が厚生労働省の役人の大人数深夜送別会事件である。私は、この事件の根にあるのが「視野の狭さ」と「想像力の欠如」にあると思っている。つまり、自分たちは担当する大変な仕事をやりとげたのだから慰労されて当然、他の部署の仕事は私たちの関与することではない、という固定された意識と、自分たちの行動が世の中に与える影響に思い至らない幼稚さである。

 本能のままに振る舞い自分のことしか考えない幼児のままで、果たしてコロナに打ち勝てるだろうか。コロナウィルスは日々変異し、進化している。我々人間はもっと賢く大人の振る舞いをしなければ絶対に勝てないと思う。



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