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差別的な発言となるのは何か


2021.02.14


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 2月5日の日経新聞の記事によると、総務省が発表した2020年の家計調査で、勤労者世帯の貯蓄が前年から大幅に増えたとのことである。その理由は、特別定額給付金で世帯収入が増えた一方で外出自粛などで消費支出が減ったからだと言う。株価は世界中で上がり続け、ビットコインの価格も資産家の購入によって急騰している。都心のマンションの価格も上がっているようだ。その理由が「金余り」で使い道が見つからないせいのようだ。パンパンに膨らんだ財布をさらに膨らます方法を探っている人たちが多いということか。

 テレビのニュース番組を観ると、仕事も家も失って炊き出しに並ぶホームレス、これ以上緊急事態宣言が続けば店を閉めるしかない、と途方に暮れている飲食店の店主、雇止めにあって収入が激減して困っている非正規雇用者らの悲痛な声が連日聞こえてくる。同じ国民、市民であってもこれほどに違いが明確に現れている時期はかつてないのではないか。

 私の散歩コースの中に、車の多い広い道路の両側に、広い駐車場を持ったチェーン店がずらりと並んでいるところがある。いつも平日の午後1時半ごろに歩いているのだが、駐車場の混み具合が店によって大きく違うことに気づく。美味しそうなステーキの描かれた幟がはためくステーキのチェーン店はいつも満車状態である。自転車置き場にも自転車が並んでいるので近所の人も来ているのだろう。ストレス解消に肉をがっつり食べようと思う人は多いようだ。一方で、回転すし店を除けば多くの店の駐車場はガラガラである。休業日なのかなと思うと奥に1台止まっていたりする。そういえば、駅前のマックは平日も休日も家族連れが列を作っている。店内を覗いてみると一人客がパラパラいるだけなので持ち帰って家で食べる人が大半なのだろう。同じ飲食店でも随分と差があるものだ。コロナの影響は皆同じなのに差が出るのは何かしらの要因があるはずだ。分析・評価して、強い飲食店の新たなビジネスモデルづくりに役立てるべきである。 我々は、つい物事を一括りにカテゴリ化してそれにラベルをつけたがる。実際はそのカテゴリの中には様々な要素が含まれていて個別に事情は大きく違うのだが、単純化してしまうことで頭がすっきりした気分になる。国民は〇〇である、飲食店は△△である、などなど。でも、これは問題の把握とその解決にとって大きな落とし穴になりかねない。さらに、この傾向は「差別」にもつながるのである。

 東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の差別発言は日本国内だけでなく世界中に波紋を投げかけている。女性差別発言など私のような高齢者にとっては日常茶飯事であり、私と同年配以上の男性なら全員同じことを考えているのだろうと思う。何を考えようと個人の自由である。考え方を変えろと言っても無理だろう。でもそれを公の場で口に出してはいけない。では、差別発言となるのは何なのか。それは、「〇〇は△△である」とラベル付けすることだと思う。〇〇にはあるカテゴリ、例えば性別、人種、地域などが入る。△△は必ずしも否定的なことばかりではない。肯定的な言葉も差別になる。

 例えば「女性は理系が弱い」との決めつけがこれまでの女性の進路選択に大きな影響を与えてきた。「子供のいる女性に仕事を頼むのは申し訳ない」も親切そうに見えるが差別発言である。それぞれの事情、努力を十分に考えて発言すべきである。

 それでは「統計的に見て」などの科学的根拠、今はやりの言葉で言えばエビデンスを示せばよいのか。これは少数派を無視するということにつながり、これこそが差別の元になる。あるグループを一括りにしてラベル付けしたら全て差別発言となる、と思って間違いないだろう。差別を無くすためには、一人ひとりを尊重して寄り添う必要があるのだ。



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