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適応していくことで生き延びるしかない


2021.01.17


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 2回目の緊急事態宣言が出されてすぐの連休中に、毎週の「不要不急ではない」用事で出かける日が来た。行かずに済ませられないかと考えたが、やはり行かざるを得ないとの結論になった。1回目の緊急事態宣言のとき電車の各車両に数人しか乗っていない状況だったので、却って安心かもしれないとの期待もあった。しかし実際は1週間前よりも混んでいた。  乗客の様子を観察してみると、全員マスクをし、大半が静かにスマホに目をおとしていた。参考書らしきものを読んでいる若者もいた。荷物や服装からして旅行や遊びに行くように見える人はいなかった。各々「不要不急ではない」用事を持っていると察しられた。それでも昼間の人出が増えていることは事実で、「慣れ」「緩み」と報道されることは目に見えている。そんな時、よく似た別の事態を経験したことに思い至った。

 11月の半ば、起き抜けにベッドから降りたとき突然の腰痛を経験した。何とか着替えや洗面を済ませた頃に痛みは消えた。寝返りを打ちやすくするように枕を変えたり、冬布団を用意したりして何とか収まった。しかし、12月になって寒さが厳しくなると、この起床時のみの腰痛が再発し、着替えはもちろん洗顔すら痛みで耐えられなくなるようになった。ネットで情報収集した結果「寒さを感じて脊柱を支える筋肉が収縮して凝り固まっているせい」だと判断した。30分も動けば消えるので痛みをこらえつつ起床する日々が続いた。ところが、年末年始からの度重なる寒波、最低気温の更新が襲ってくるにつれて痛みが和らぎ、いつのまにか殆ど無くなってしまったのだ。「体が寒さに慣れた」ことにより「筋肉の収縮が緩んだ」としか思えない。

 「慣れ」「緩み」に救われたこの事態を、私は人間が生き延びていくためのメカニズムだと解釈した。もしも寒さと比例するように筋肉の緊張が強まっていったら、生活の質は著しく落ち、今頃は這ってトイレに行くようになっていただろう。現実は違った。私の体は「慣れ」を覚え、適当に「緩める」ことで通常の活動に早く戻れるようになった。これは「適応」である。人類は適応することによって生き延びられるようになり、進化を遂げた。

 そんなことを考えていた時、5歳ぐらいの男の子と母親が同じ車両に乗ってきた。「さっきあのボタン触ったでしょ」と母親が問いただした。「さわってないよ」と男の子が否定した。「触った」と母親は一喝すると、持っていた紙袋から大きなボトルを取り出して男の子の手に液体を吹きかけた。男の子は両手をこすり合わせた。出かける直前に玄関先にあった消毒薬のボトルを慌てて持ち出したようである。やがて数メートル離れた私のところに消毒薬のかすかな匂いが届いた。私は心の中でつぶやいた。「嗅覚、異常なし」。

 緊急事態宣言後の連休の人出はやはり多かったようで、結果として行動の制約は強まる一方である。しかし、大半の人は「何が危険なのか」を理解した上で行動しているのではないか。構造改革など専門家にしか分からない、一般市民にはできないところに経済対策、医療崩壊の防止策があるように思えてならない。少なくとも私自身は、生き延びるためにできる限りの感染防止策を実施し、あと1年は頑張っていこうと思っている。



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