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生き延びるための行動を考える


2020.12.27


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 年賀状を出してしまい、餅も用意した。一人で迎える正月にはもう慣れてしまったので、誰にも会わないことへの抵抗はない。いつもと違うのは、密を避けるために初詣を今年中に済ませておくということか。誰にも気兼ねなく静かな正月が迎えられそうである。

 私のような一人暮らしが身についた人ばかりではないらしく、忘年会、新年会をしようとする人、家族に会いに帰省しようとする人はいるようである。そういった人たちの行動変容を促すためか、テレビのニュース番組では医療従事者の団体が医療のひっ迫を訴え、都知事がステイホームをお願いしている。しかしそんなことで人の行動を変えられるだろうか。

 まずその行動の基盤になる意識が各々で異なる。それは幼少期に身についたものが影響するように思う。自分自身で考えてみると、前回のコラム「あなたの出身地はどこですか」で書いたように疫病を恐れる気持ちが強い。だからできる限り人と会うことを避ける。しかし、人とのコミュニケーションを何より求める人もいる。そういう人は家にこもるより他人と会うことを優先するだろう。意識の違いは行動に大きく影響する。

 もう一つ、現状のとらえ方の差もある。同じ数字、統計情報を見せられたときの解釈は正反対になる可能性がある。例えば私は、日本の新型コロナ感染者数が欧米と比べてどれほど少なくても「感染する確率がゼロでなければ自分の命が脅かされる可能性がある」と考える。しかし、人によっては「一部の人の命は危ないがその確率は低い」と考えるだろう。これはリスクのとらえ方の違いで、性格によるものと思われる。宝くじを私は買わないがそれは外れる(損をする)確率が高いと思うからで、買う人は外れるリスクよりも「当たる可能性はゼロではない」方に賭ける。先ほどの基盤となる意識の違いに、性格からくると思われる現状のとらえ方の差をかけ合わせれば、各々の人の行動はますます多様になる。

 多様な行動を強制力をもって一つにまとめることはできるかもしれないが、私自身、そして多くの人はそれを望まないだろう。人それぞれに価値観が違い、現在の置かれた状況も違う。各々の心情や意思は尊重されるべきだと私は思う。まず、緊急事態宣言だけは出してほしくない。一人ぼっちで良いので、自分の意思で自由に行動させてほしい。

共感力に頼って行動を変容させるのはどうだろうか。連日、医療従事者からの医療現場の状況が伝えられ、医療を守るためにも感染しない、感染させないようにしよう、と悲痛な叫びが聞こえる。一方で、飲食店や旅館の窮状や、つぶれるかもしれないという悲痛な叫びも連日報道される。どちらに共感するかで行動は変わってくるはずである。しかし、人間は他人への思いだけで行動変容ができるとは思えない。むしろ、自分の行動の言い訳に他人への共感を使うことの方が多いのではないか。やはり自分を現在考えられる最も心地よい状態に置きたい、というのが行動の源泉になるのだと思う。

 結局のところ、一人ひとりが生き延びるための道を考えるしかないのではないか。となれば、コロナの終息はまだ先になるだろう。一般の人がワクチン接種できるようになるまで6か月、その効果が表れるのは1年先くらいか。来年も一人で静かに過ごすつもりである。



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