出身地を聞かれると迷いもなく「東京です」と答えていた。東京のどこですかと聞かれれば、杉並区ですと答えたはずである。なぜなら、出身地は生まれた場所だと信じていたからである。それが揺らぎだしたのは、稀勢の里が横綱になったとき、出身地と出生地、さらには幼い頃住んでいた土地が違うことが話題になった頃である。
出身地の明確な定義は調べても分からない。生まれてから15歳頃までに最も長く住んでいた地域、5歳から15歳頃までに最も長く住んでいた地域、あるいは15歳頃住んでいた地域など様々である。私自身は生まれてから15歳までに4か所の土地に住んでいた。厳密に期間を調べてみると思わぬ住所が浮かびあがった。4歳から9歳つまり、物心ついてから小学校低学年までを過ごした東京都葛飾区である。
その当時、私の家族(両親と私と2人の弟)は、中川という川の土手の下にあるメッキ工場の敷地内の社宅に住んでいた。1階には3世帯の家族が住み、2階は工員さんの寮になっていた。敷地内には工場や倉庫があり、夕方になると沢山の蝙蝠が飛んでいて弟が棒を持って追いかけていた。隣の敷地には薬品工場があった。工場の機械の音、薬品の臭い、道路わきのドブに漂う工場から出た排水の色と臭いが私の生活の一部になっていた。
楽しかった思い出は沢山あるが、怖いこともあった。最も恐ろしかったのが台風だった。台風が近づくと布団を押し入れの上の方に上げ、2階の寮に避難した。元気な工員さんが土手に偵察に行き、「川の水が土手のすれすれまで来てる、こっちに流れ込みそうだ」と叫んでいた。私たちは震えながら台風の去るのを待った。次の朝は、長靴で水をかき分けるように歩いて学校に行った。時々、どこかの家の便所の汲み取り口の蓋が流れてきた。
ある日学校から帰ると、すぐ下の弟が一人で立っていた。家の中には沢山の人がいて何やらまき散らしていた。隣のおばさんが来て、赤ん坊だった下の弟が疫痢にかかって入院したので保健所が消毒に来たと教えてくれた。母は付き添いで戻らなかった。
私はいまだに雨風が雨戸にたたきつける音がすると眠れない。私が災害、特に水を恐れるのはあの時代の経験からくるものだろう。同じように、いくらGOTOトラベルやイートのお得が宣伝されても旅行や外食に行く気は起らず、家族にも会わずに一人で家にいるのも、疫病に対する恐怖があるからだと思う。それは生き延びるための基本的な感覚で、それがあの時期(成長の初期段階)に身についたのではないか。
葛飾区での経験は職業人になってからの私の人生にそれほど大きな影響を与えているとは思えない。むしろ、小学校の後半と中学、高校時代を過ごした茨城県日立市と勝田市(現在のひたちなか市)での経験が大きく影響している。学校や友人たちとの交流から学んだこと、書物から学んだことが、自分の倫理観、思考、発想に影響を与え、自分の専門領域の選択と仕事に結びついている。成長の後半の時期に身についたものということになる。
出身地とは、その人の人生の最も基本的な部分、生きるための感覚、理性と思考の両方に影響を与える場所かもしれない。とすると、私の出身地はどこと言ったらよいのだろうか。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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2020.12.20