私が働き始めた50年前にはおかしな仕事があった。上司が書いた読みにくい手書きの文章を「清書」することである。それをコピー(「青焼き」と呼ばれていた)し、社内便で関係者に配布していた。現在であれば、上司本人がWordで作成しメールで送信するかクラウドにアップロードするだけで終わる。デジタル化のお蔭と喜びたいところだが、人件費と時間が縮小されてコスト削減になっただけでやっていることは同じである。
昭和60年代以前の映画を観ることがある。生活の場である家や町はごみごみしていて汚らしく、子供たちの服装はあか抜けない。オフィスの机の上には書類が積み上がり、たばこの煙が充満している。しかし、話している内容をよく聞いてみれば現在と殆ど違わないことに気づく。仕事の中身も働く人の意識も大して変わっていないのではないか。
デジタル化が叫ばれてずいぶん経つ。オフィスの机の上にはパソコンが置かれ、数十年前とは雲泥の差である。でも、実現されたことの殆どは、書類が電子化され(ペーパーレス)、電話がメールになり、出張がオンライン会議に変わっただけではないか。どう考えても生み出される価値の変化には結びついて来なかったように思える。このまま、「印鑑の代わりにボタンをクリックする」ことでデジタル化を推進していると満足してしまったら、この数十年間と同じことがさらに進むだけである。現在、DX(デジタルトランスフォーメーション)が話題になっているが、これを単なるデジタル化にしてしまってはならない。
日本の最大の課題のひとつとして生産性の低さが挙げられている。簡単に、
生産性 = 生み出す価値 ÷ コスト
と表したとき、これまでのデジタル化でやってきたことの大半がコストを削減することだったと思う。もちろん平成の30年間、「ビジネスプロセス改革」「価値創造」を掲げてがんばってきたつもりではあるが、結局のところ日本においては実現しなかった。改革も創造も痛みを伴う。まじめにコツコツとコスト削減に励む方が日本人には合っていたのだろう。DXに期待されるのは、痛みを伴った「生み出す価値の最大化」なのだ。
企業に雇われる側の個人も考え方を変えなくてはならない。生産性向上のためには時間を無駄に使わないことが求められる。そのためには、「自分の時間に価値がある」ことを認識しなければならない。そのためには「自分に価値がある」と認める必要がある。そのために必要なのが「自分の価値を高める」ことである。私の主張したいことは、「自分の価値を高める」→「自分に価値があると認める」→「自分の時間に価値があると認識する」→「自分の価値を高めるための時間が生み出せる」→「自分の価値を高める」というよいループを作って回していくことである。
私自身は「自分の価値」を次の時代に有益なものを残せることと考えている。例えば、次の世代(自分の子供、孫、学生たち)を育てることであり、次の世代が健康に暮らせる環境を整えることである。「自分の価値を高める」つまり自ら学ぶことに終わりはない。デジタル化がその道具であることは言うまでもない。
自分の信念に従って行動する「高い志を持つ、市場価値の高い技術者」を育成します。
「市場価値の高い技術者の育成」を目指して、
コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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デジタル化は価値を高めるためのもの
2020.09.27