3年ほど前に「いま世界の哲学者が考えていること」(岡本裕一朗著)を読み、哲学に少々興味を持った。そこで、まずは初歩的な所から取り掛かるべく「哲学用語図鑑」「続哲学用語図鑑」(プレジデント社)を購入し、楽しいイラストを見ながら何となく分かった気になった。ところが、それに気をよくして、マルクス・ガブリエルの新実存主義を齧ろうとしたが失敗した。何もわからぬまま2年半が過ぎた。そしてコロナ禍の自粛生活の中、アマゾンで「新実存主義」(岩波新書)、ガブリエルに影響を与えていると思われるウィトゲンシュタインの解説書「ウィトゲンシュタインはこう考えた」(講談社現代新書)を購入。何とか読むことはできた。しかし、結局何を言わんとしているのか理解はできなかった。
8月に入り、大学の講義が終わってますます暇になった。しかも、熱中症の不安があってウォーキングもできなくなり、読書しかすることがなくなってしまった。そこで、もう一度、新実存主義に挑戦することにした。2周目である。「哲学用語図鑑」「続哲学用語図鑑」の楽しい解説から始め、それらを見返しながらウィトゲンシュタイン、そしてマルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」(ダイジェストのみ)まで、ゆっくり読んでいくと、少しずつ光が見えてきた。新実存主義あるいは新実在論は、「心」あるいは「精神」を物理的な存在である自然との関連でどう位置づけるかについて、これまでの多くの哲学的な議論を総動員して極めようとしているのではないか。それが明確にならなければ、AIに心を持たせられるか、AIに人間の倫理観を教えられるか、の答えは出てこない。
9月に入っても暑さは続く。次に挑戦したのはマクタガートの「時間の非実現性」である。しかし、どうも体がだるい。本を読んでいてもちっとも入ってこない。時々頭がクラクラする。外出を避け、手もとに温度計を置きそれを見ながらエアコンの設定を変えるなどして、まるで温度調節された水槽の中の金魚みたいな生活をしているのにどうしたことか。部屋にいてもストレッチをして、階段の上り下りも手すりを使わずさっさとできているのに。血圧も安定して正常値である。体が悪くなるはずなどないのだ。
昨年の日記を読んで驚いた。8月も朝のウォーキング、ラジオ体操のスタンプ押し、夏祭りの手伝いなどこなしているではないか。部屋にいてもラズベリー・パイで画像認識のプログラムを動かしたりしてがんばっている。今年の私はどうみてもおかしい。明らかに心の問題である。新型コロナウィルスに心をやられてしまったとしか思えない。
体がだるいのはいわゆる「夏バテ」にすぎないのかもしれない。でも、例年よりもひどいのはもっと精神的な要因がある。このまま仕事がないことや外出自粛を言い訳にして本ばかり読んでいてもしかたがない。そろそろ温度管理された水槽(金魚鉢)から出て活動しなければ。というわけで、まずは7か月ぶりに亡き夫の墓参りにでかけた。幸い暑さがさほどではなく、気にかかっていたことが解決して気分がよくなった。
いくら哲学書を読んでも「心」が何であるかはよくわからない。でも、新型コロナウィルスに心まで蝕まれるのは嫌だ。感染から身だけでなく心も守ることを考えよう。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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コロナに心を蝕まれるな
2020.09.13