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学生よ、もう少しの辛抱だ


2020.08.16


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 8月に入り、私の大学でのオンライン授業は終わりを迎えた。昨年までの教室での授業に比べれば、準備に3から4倍の時間をかけてきた。具体的には、オンデマンドの授業のためのテキストに音声を付ける際には、テキストを作り直し、講義のリハーサルを繰り返して本番を行い、聞きなおして修正を加える、といった具合である。毎回レポートを提出してもらったが、全てのレポートを読んでキーワードを抽出し、分類整理して次の回のテキストに資料として追加するのにも数時間かかった。初めての経験で大変ではあったが、その甲斐あって、例年を大幅に上回る合格者(単位取得者)を出すことができた。

 非常勤講師として1科目(2単位分)しか担当していないので、かなりゆとりをもって授業を進めることができたのだが、これが2年前までの専任教授の時であればかなり難しかったと思う。科目数も多かったし、沢山のゼミの学生を抱えていた。一体、専任の先生方はどう指導しておられたのだろうか。そんな中、オンライン授業を進めてきた多くの大学の学生が、ネット上にオンライン授業の感想(大半が不満)を書き込んだ内容が目に付くようになった。「これってうちの大学のことじゃないよね。私の授業はこんなことないよね。でもこう思われてもしかたがないかも」。読むにつれて胸が痛んでくる。

 現代の大学生の多くが奨学金を受けていて、大半が負債となって残る。生活の糧となるアルバイトはコロナ禍により減っている。そんな苦しい状況なのに大学に行くことはできず、図書館も使えず、授業料だけは取られる。オンライン授業ではトラブルも多いし、質問もできないし、レポートを送ってもレスポンスはない。友達に相談することもできない。そんな内容がネット上でつづられている。退学を匂わせる書き込みもある。本来なら前期の授業を終えて帰省し、地元で高校時代の友人たちと遊んで憂さ晴らしができたはずなのにそれもできない。八方ふさがりの大学生の叫びがひしひしと迫ってくる。

 最も懸念されるのが孤独からくる心の不調である。現在の状態が永遠に続くのではないかという気の狂いそうな不安に襲われることである。しかし、72歳の老婆があえて言いたいのは「明けない夜は無い」ということである。一生孤独などということはあり得ない。長い人生から見れば現在の状態など一瞬である。生きてさえいれば。

 人類はしたたかに感染症と戦い、生き延びてきた。技術の発展は加速している。AIをうまく使えばコロナだって抑え込めるはずである(と私は信じる)。研究者、技術者の努力を信じ、自分は自分のできることに専念すればいいのだ。食べること、眠ること、学ぶこと。その効率を上げるために工夫すること。小さな問題を解決することも有効だ。パソコンの不調を直すことだって、ゴキブリ退治だって、何でもいい。私自身、2台のパソコンが時を同じくしておかしな動きを始め、その解決に四苦八苦している。何とかだましながら使っているが根本原因を突き止めたい。何だかそれが生きがいみたいになっている。

 熱中症を恐れて毎日のウォーキングはお休みである。早く秋が来て欲しい、と願っているうちにもう8月も後半になってきた。大丈夫、もう少しの辛抱だ。



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