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両立を諦めると見えてくるもの


2020.08.02


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 新型コロナウィルス感染を避けて、5か月半も家族と会っていない。自治会の役員の任期が3月で終わり、近所づきあいも無くなった。声を出すのは毎週1回の大学のオンライン授業のみ。見えない学生(つまり、PCの画面)に向かってしゃべるだけである。外食は一切していない。正直な所、コロナ感染の不安は全く感じていない。誰とも会話していないのだから飛沫が飛んでくることはありえない。コロナ以外の病気にならないよう、毎朝血圧を測定し、こまめに水を飲み(熱中症対策)、毎日ウォーキングを欠かさず、野菜中心で塩分を極力抑えた食事を心がけている。まさに平和で健康的な日々が続いている。

 経済と感染防止の両立を図るために世の中は大騒ぎである。旅に出るか家にいるか。私は旅を諦めて引きこもることにした。経済への貢献としては、ディズニーの人気キャラクターのぬいぐるみと、英語学習教材(いずれも結構なお値段がする)をネットで購入して、孫の誕生日プレゼントとして届けたことぐらいか。SNSで「おばあちゃんありがとう」という動画メッセージが届いて「いいね」を付けてコミュニケーションもできた。

 コロナの影で話題に上ることが無くなったが、人生100年なので75歳まで働くべきだという議論があった。年金の支払いをできるだけ遅らせ、高齢者に生きがいを持たせて病気になる率を下げることで経済を改善させようという思惑が見える。一方で、AIなどのIT(情報技術)を取り入れることで生産性を上げ、経済をよくしようという取組みも進められている。この二つは両立するだろうか。

 AIにより仕事が奪われる、という議論も忘れてはならない。ここで言われている「残る仕事」は、AIを含む先端的ITの研究者、開発者や、人とのコミュニケーションを必要とする医療、介護、保育従事者などである。知力、体力、瞬発力、コミュニケーション力が求められているわけである。これに応えられる人は若年層でも多くはない。なぜなら、大多数の労働者は、上司の指示のもとに与えられた仕事をまじめにこつこつとミスなく行うことを目標に働いているはずだからである。少なくとも大きなミスをせずに仕事がこなせれば失業するはずはないと信じて働いていると思う。しかし、AIはそのような仕事をより効率的に、24時間365日、休まず行うことができる。となると残るのは、知力、体力、瞬発力、コミュニケーション力に優れた一握りの人たちにしかできない仕事となる。この少ないパイの奪い合いの中に75歳までの高齢者が入っていけるのだろうか。私自身は、両立は無理だと思っている。少なくとも、間もなく72歳になる私の知力、体力、何よりやる気は40代と比べれば著しく落ちている。仕事は若い人とAIに任せてのんびりしたい。

 10年前(2010年)にブームとなった「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデルの著書「これからの『正義』の話をしよう」を書棚の隅から引っ張り出して読んだ。中に出てくる有名な問い「1人を殺せば5人が助かる状況でその1人を殺すべきか」(功利主義)がなぜ許されないと感じられるのか。考えさせられることが沢山ある。いまを生き延びるために今こそ再読してみるべきではないだろうか。両立を諦めるとすべきことが見えてくる。



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