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人を思う気持ちは時代を超えても変わらない


2020.06.28


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 本棚から古い本を取り出してきた。「『断腸亭』の経済学 荷風文学の収支決算」(吉野俊彦著 1999)である。これは、永井荷風の日記「断腸亭日乗」を経済学者が分析したものである。私が購入したのは確かだが途中で読むのを止めたようだ。今回は時間もたっぷりあるので、最後まで読み切った。

 「『断腸亭』の経済学」が取り上げているのは大きく2つである。ひとつは、荷風の女性遍歴とそれにかかったコスト、もうひとつは、大正から昭和30年代までの経済生活(財産や生活費)である。途中で読むのを止めたのは、女性遍歴の部分に辟易としたからと思われる。しかし、今回は全く別の視点から読むことができ、新たな発見もあった。

 本書を読んでいる最中、テレビやネットのニュースは(コロナ禍を除けば)売れっ子芸人の不倫の話題ばかりだった。ちまたには、おぞましい、汚らしい、女性蔑視だ、と思いつく限りの罵倒があふれていた。最初はニュースにうんざりしながら、これが戦前の荷風が女性遍歴を繰り返していた時なら話題にもならなかったのに、などと考えていた。つまり、時代背景が変われば人の常識も変わるのではないか、と安易に捉えていたのである。しかし、本書に多数引用されている荷風の日記の内容を読むにつれて、それが間違いであることに気づいた。

 荷風が女性遍歴を続けていた戦前(大正から昭和20年まで)は、荷風が囲った芸妓や私娼と一般の女性(主婦など)とははっきりとした区別があった。そして、囲う側、囲われる側の間の金銭のやりとりは一種のビジネスであった。日記では芸妓を身請けする費用などがきちんと記述されている。しかし、人間としての尊厳は全く別のことであった。片や文豪であり財産も持っている荷風、片やお金で囲われている芸妓や私娼であっても、荷風は相手を人間として尊重していたと日記から読み取れるのである。現代であれば許されない「階級による差別」が別の時代では許されていた。しかし、人の尊厳を守ることは時代を超えても変わらない。だからこそ、永井荷風は現代も文豪として居続けられるのだろう。

 「『断腸亭』の経済学」を読了してから数日して、朝ドラ「エール」のモデルである古関裕而の楽曲を特集したテレビ番組を観た。毎日朝ドラを観ているのに彼がどのような曲を書いていたのか知らなかったからである。聴いてびっくりした。知っている曲ばかりではないか。そして何より、いわゆる「戦時歌謡」の有名な曲が彼の手になるものであることに驚かされた。現代、彼をあの戦争を煽り立てた人物と批判する人などいない。いれば朝ドラのモデルなどにはなるまい。なぜなのか、曲を聴いてすぐ分かった。メロディーが人の心に寄り添っているのである。歌詞は一見すれば勇ましい。しかし、メロディーは哀調を帯びている。それが人々の心の琴線に触れたのだろう。そして、戦後になっても「懐かしのメロディー」としてうたわれ続けた。だから、戦後生まれの私ですら覚えているのだ。

 時代背景は変化する。しかし、人が人を思う心は時代が変わっても変わらない。それは必ず相手に伝わる。人の尊厳を守らない人は、いつの時代でも淘汰されるはずである。



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