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この絵は一体どこから来たのか


2020.06.21


イメージ写真

 引きこもり生活が5か月近く続くと、家の中にどうしてもゴミが溜まる。誰も訪ねてこないとなれば、つい片付けるのがおっくうになる。案の定、パソコンを使ったり読書をしたり、飲食をしたりする居間のテーブルの上には、紙の山ができていた。コラムのネタにするために読書しながら気づいたことを書いたり、大学のオンライン授業のアクセス数をメモしたり、学生のレポートの内容を分類、整理したり、その日にやるべきことをリストしたり、目的を達成すれば捨ててもいいメモなのだが、いつか見直すこともあるかもしれない、と勝手に理由を付けてそのままにしていた。それが一掃されてしまった。自分の意思とは関係なく。コーヒーをぶちまけてしまったのである。スマホとリモコンはすぐに引き上げて拭いたけれど(幸い問題なく動いている)、紙類は濡れて茶色に染まり捨てるしかなかった。アクシデントがなければ人間は変われないのだなと実感した次第である。

 最近、長い間見たことのないものの在り処を探すことが増えた。亡き夫に初めてプレゼントされた何十年も付けたことのないアクセサリーなどである。見つからないと気になってしかたがなくなる。ある日、床の間の横の天袋を探ってみた。踏み台に乗るのが怖くてずっと手付かずになっていたのである。新築祝いに義兄から贈られた掛け軸(作者不詳)、多分同じときに贈られた香炉が出てきた。その奥に、埃まみれになった額のようなものがあった。引っ張り出してみると、小さな油絵である。額縁自体は大きいが絵画自体は小さい風景画である。手前に水があり奥には崖や森があるように見える。日本の景色のようだが、水が川なのか海なのか分からない。左下にM.SugiTAとサインがあった。かなり癖のあるサインである。杉田(?)さんという画家の作品らしい。

 実は、この絵を見たのは初めてではないような気がする。いつか見たのかは分からない。これも新築祝いだとしても、遠方に暮らす高齢の義兄に聞くわけにはいかない。義兄ではなく亡き父から渡されたのかもしれない。95歳の母は介護施設に居て今は会うことができないし、多分覚えていないだろう。これは自分で探るしかない。

 私が頼れるのはネット検索だけである。手がかりはサインしかない。早速検索を開始したら、あっけなくM.SugiTAと全く同じサインのある油絵がヤフオクのサイトで見つかった。横たわった裸婦の絵である。正直な所、手を出したくなるような絵ではない。サインはあるが作者不詳の扱いのようである。1971年の作品であるようだ。どこかの家の押入れから出てきて売りに出されたのだろうか。わが家の風景画も1970年代のものかもしれない。

 天袋から絵が見つかって1か月が経とうとしているが全く調査が進んでいない。ヤフオクの裸婦像もだれからも入札がないまま出品され続けている。それ以外のどこにもM.SugiTAの情報はない。一体この絵はどこから来たのか。作者は誰なのか。どこを描いたものなのか。これは絵と会話するしかない。そのようなわけで、玄関に飾っている。

 なお、探していたアクセサリーは無事に見つかり、記念品として分かるところに保管した。それもいつかは忘れてしまうのだろう。エンディングノートを書くべきなのかな。



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