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夭折した作家の遺したもの


2020.05.17


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 黒いビニールに包まれた郵便物を開くと、ちょっと汚れて縁の壊れた箱に入った、ハードカバーの本が出てきた。背表紙は少し破れているけれど、中は全く読んだ形跡のないほど綺麗である。先月Amazonで注文して忘れていた「夢を喰ふ人」(松永延造著 桃源社)である。発行は昭和48年(1973年)6月。大正11年に発刊された本の復刊になる。

 この本を注文した経緯は次のようなものである。引きこもり状態で読書に励んではいたものの読む本が無くなってきた。大型書店で立ち読みしながら本をあさることができないので、同じ本を2度、3度と読み返すことも多い。「現代怪奇小説集」(1988年 立風書房)を拾い読みしていくうちに、松永延造の「アリア人の孤独」が目に止まった。以前読んだときと同様に心の底に共鳴する何かを感じたのである。この作家はどういう人なのか。簡単な紹介文を読むと、明治28年に生まれ、脊椎カリエスのため小学校2年で中退。病床の中で創作を続け、昭和13年に44歳で没した、とある。何と、私の子供くらいの年齢までしか生きられなかったのか。さらには、その業績は長い間忘れ去られていたが、昭和30年代から再評価され、昭和48年に「夢を喰ふ人」が復刊された、とあった。そこで、Amazonで探してみると、古書として出ていたので注文したのである。

 今ここで「アリア人の孤独」や「夢を喰ふ人」の内容について語ることはしない。というよりできない。理屈ではなく心の中に感じるものがあるということしか言えないからである。多分、読み手によって感じ方は違うだろう。松永延造は「夢を喰ふ人」を26歳で書いた。発刊当時、激賞する人たちもいたものの批判もあったらしく、結果として殆ど反響は無かったらしい。おかしな人たちが沢山出てきて、夢か現実か、嘘か本当か分からないできごとが繰り広げられる。しかし、これが薄っぺらなものとは決して思えない。深いものが感じられる。特に肉体的、精神的な病気に関する様々な内容は、多分作者の実体験から書かれているものではないかと思わせる。70歳代の私が深いと感じるものを20歳代で書いているということに驚かざるを得ないのである。

 今、若くして病気に倒れ、短い人生を病気との闘いで過ごした作家の人生を考えるとき、ウイルスのために家に引きこもらざるを得ない我々の苦しみなどどれほどか、と思う。そして、多くの夭折した作家たちが若くして素晴らしい作品を書いている裏には、自由に動き回れない分、深く思索し、それを表現するという時間が与えられたのではないかとも考える。我々は、この時期を思索の機会と捉えることもできるのではないか。

 さて、Amazonで購入したこの本には、草野心平の「不思議な傑作『夢を喰ふ人』と松永延造」という一文が載せられている。その50年前、22歳の草野心平が最初に読んだときのこと、その後のエピソードなどが書かれている。つまり、草野心平はこの文章を書いたとき私と同い年だったのか。その内容について書くことはできないが、ひとつだけ驚いたことがあった。最後に「1973年4月16日 雨 横須賀線の列車中にて」と書かれていたことである。当時私は、会社の寮と会社の間を横須賀線で通勤していたのだ。運命を感じる。



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