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笊で水を汲むような読書であっても


2020.05.10


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 年を取っていくと、体力の衰えだけでなく知力の衰えも感じる。引きこもりもあって時間だけはたっぷりある。そこで読書に励んでいるのだが、読んでいる先から内容を忘れていく。本屋に行けなかった分、かつて読んだ本の読み返しを行っているのだが、いつも新鮮である。つまり、内容を全く覚えていない。そもそも、内容だけでなく買ったことすら忘れて同じ本をまた購入するということもよくあったので、高齢化の特徴かもしれない。まるで笊で水を汲むようなものではないか。ところが最近、そうでもないぞと気づいたことがあった。

 かつて読んだ本として本棚から取り出したのは「サイエンス・インポッシブル」(ミチオ・カク著 2008)である。全く覚えていなかった。しかし、内容はなぜか理解できる。そこで最近読んだ本を思い出してみた。多分、「人類と科学の400万年史」「生命進化の物理法則」「数学で生命の謎を解く」などの内容の一部が頭の隅に引っかかっていたのだろう。

 さらに、「もうひとつの脳」(R・ダグラス・フィールズ著 2018)を読み返したところ、内容は相変わらずすっかり忘れていて新鮮だったが、かなりよく理解できた。これも、脳の仕組みに関する本をかなり読み漁った結果、頭の中に様々なものが引っかかっており、それらが体系づけられて知識として再構成されてきたからだろう。

 読書は決して笊で水を汲むようなものではなかった。知識は必ずどこかにひっかかっていて、取り出されるのを待っているのだ。それが、別の角度から書かれた本などを読んでいくにつれて笊の目に膜ができるように広がり、面になる。読めば読むほど膜は強固な物になり笊は笊でなくなる。それが理解できた理由なのかもしれない。

 大型書店に入り浸って新しい本を探るのはいつのことか分からないが、かつて読んで内容を忘れてしまった本はまだまだ沢山ある。古い本も新鮮な気持ちで読めるのは高齢者の特権かもしれない。古い本を読む楽しみはまだある。過去の研究結果や常識が現在ではどう評価されているのか、をネットで調べることである。新事実が出てきて覆されていることも多い。これも笊に貼られた膜を強固にするもとになる。楽しみは続きそうである。

 さて、読書以外に毎日続けているのが2時間のウォーキングである。田舎道で人とすれ違うことは殆ど無いのにマスクをかけたまま歩く。これは一種の健康チェック(呼吸が楽か、嗅覚は正常か)だと思っている。ところが、暑くなってマスクの下に汗をかくようになった。手作りの布マスクに変えようか迷った。何枚か作ってはあったのだが、顔半分をすっぽり覆うような、まるでオムツカバーみたいなもので恥ずかしくて使えないでいたのである。テレビでは小池都知事が大きなマスクを堂々と着けていて、結構評判が良い。そこで思い切って使ってみた。想像以上に気持ちが良い。しかも汗をかいてもすぐ洗えて便利である。どうせマスクをジロジロ見る人などいないだろう。堂々と着けてやろう。

 大学の非常勤講師の講義はオンラインのオンデマンド授業とした。リアルタイムで映像を流すことはしないので背景や服装について気を使わなくてよい。閉塞感ばかりの外出自粛期間だが、良いこともあるのではないか。色々探してみよう。



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