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今だからこそいつもと違うことをやってみる


2020.05.03


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 数日後に開始される大学の遠隔授業に向けて着々と準備は整いつつある。とは言え、初めてのことでどんなトラブルがあることやら分からない。しかし、もしもこのような事態(パンデミックによる外出規制)にならなければ、75歳の非常勤講師定年まで、いつものやりかたで淡々と講義をしていただろう。ビデオ会議システムなんてものを経験することもなく、試行錯誤しつつオンデマンド授業の教材づくりをすることもなく。またひとつ経験を積み、賢くなっていくような気がする。

 ひきこもりの日々を鬱にならずに過ごす方法のひとつは、毎日、計画的に過ごすことだと思っている。就寝と起床の時刻を決めて守る。起床後必ず血圧を測る。その日のスケジュール(何をするか、ウォーキングのコースをどこにするか)を書いて、机の電子吸着ボードに貼る。そして朝食後に必ず化粧をする。誰にも会わないのに化粧なんて無駄のようであるが、これは50年近くフルタイムで働いてきた私のルーティンみたいなもので、仕事モードの入り口である。こうして、いつもと同じとき(平常時)であると頭と体に伝える。これは平常心を保つのには大変有効である。しかし、こんな時期だからこそできることもあるはずだ。

 これまで70余年の人生の中で、引きこもらざるを得なかった期間は結構ある。最初は20歳前後の大学紛争の時期である。大学はロックアウトされ、行き所が無い期間が1年半も続いた。住んでいたところに固定電話はなく、連絡手段は手紙だけだった。もう一つが30歳代の子育て時期である。結婚してから14年間、非正規の仕事を主として自宅で行う日々は一種の引きこもりだった。しかし、これらの時期は決して無駄ではなかった。様々な工夫をして「将来のためにできること」を探し、実行した。

 大学紛争の期間については、コラム「大学で学ぶことの意味を改めて考える」で書いたので、子育て引きこもり時代のことを書いてみよう。当時の私は、「技術力を高めておけばいつかフルタイムの仕事に戻れる」と信じていた。そこで、わずかな年収の全てをつぎ込んでデスクトップコンピュータを購入し、プログラミングを独習した。さらに、企業向けの情報コンテンツを定期契約して企業や製品の調査を行った。日経新聞と日経産業新聞を定期購読して隅から隅まで読んだ。引きこもっていたため時間があったからできたことである。お陰で、40歳代前半に良い条件で再就職を果たすことができた。

 毎日のウォーキングでは殆ど人とすれ違うことのない田舎道を歩いている。時々、住宅地の小さな公園の傍を通ることもある。通常なら学校に行っているはずの時間帯だが、沢山の子供たちがはしゃぎまわっている。中高生がつるんで歩いている。学校の勉強がどんどん遅れていくのが心配である。でも、学校に縛られないこの時期にしかできないことがあるはずだ。日頃読めなかった難しい本を読んでみる、自分で新しい課題を見つけて研究してみるなど、将来に結び付くことを自分で見つけられるとよいのだが。

 ところで、子供たちも中高生も大半はマスクをしていない。本当に家に閉じ込めていることがよいのだろうか。素人考えではあるが、学校の授業を再開してもよいようにも思える。



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