誰も歩いていない道をウォーキングする。なんて空が青いのだろう。日差しは暖かく、タンポポは心を癒してくれる。一人暮らしの高齢者で、わずかな仕事も休みになってしまった私は、他人との接触が殆どない状態が続く。最後に家族に会ったのは1か月半以上前である。その時、はしゃぎまわる孫たちを追いかけ、孫の食べ残したケーキを口にしたことを思い出し、濃厚接触とはこういうことかと改めて認識した。
脳は大きいが体力のない動物であるヒトが地球上の生物の頂点に立ち、文化や科学技術を発展させられたのはなぜなのか。様々な書籍を読むうちに自分なりに解釈した。ヒトは他者の振舞いから学び、他者と協力して困難に立ち向かい、新たな物を生み出してきた。そのために必要なのは頭が良いことだけではない。他者とのコミュニケーション、共感、それらを伝えられる言語が必要である。人は一人で戦うことはできない。コミュニティで協力しなければ生き延びられないのである。そこでは他人との接触が不可欠だったのである。
過去を振り返れば、家族の密集度は時代が遡ればそれだけ高かったと思う。昭和30年代の私自身の経験では、家族5人が一部屋で布団を並べて寝ていたが、兄弟が成長するにつれて布団を敷くのが大変になり、すぐ下の弟は押入れに寝るようになった。体がぶつかったという些細なことが原因の兄弟げんかも絶えなかった。それが、昭和50年代に生まれた私の子供たちは個室をもらえるようになっている。そして今の私は一人暮らしというわけである。他人との距離は広がるばかりである。しかし、それでもヒトが進歩できたのは、直接触れ合わなくともできるコミュニケーション手段が増えたからだろう。最初は手紙、そして電話、この30年はインターネットである。個室に籠っていても、世界中の情報は得られるし、世界中の人とコミュニケーションができる。
では、昭和30年代に今回の新型コロナウイルスが襲ってきたらどうなるだろうか。一人が感染したら濃厚接触した家族、さらには所属するコミュニティに一気に広がるだろう。しかし、世界的なパンデミックにはならない。なぜなら、人の移動範囲が狭いからである。当時私は茨城県日立市に住んでいたが、市内には東京に行ったことのない人が多数いた。そのために、市内の小学校の修学旅行では貸し切り列車を仕立てて、小学生と(東京を知らない)高齢者を乗せて東京に向かった。記念撮影は皇居の二重橋前だった。一般の人が海外に行くようになったのはそれから十数年以上経ってからである。
ウイルスも進化する。濃厚接触が少なくなれば感染力を高めて感染者を増やそうとするだろう。症状が出るのを遅らせて感染者の行動範囲を広げて感染を促進しようとするだろう。ヒトもウイルスに負けないように行動しなければならない。だから他人との距離をできる限りとり、行動範囲を狭める必要があるのだ。
ウォーキングとともに私がしているのは、極力、エレベーター、エスカレーターを使わず階段を使うこと。人との接触も手すりやボタンに触れることも避けられるし、何より運動不足解消になる。ぜひお勧めしたい。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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他人との距離の変遷
2020.04.12