三葉虫はカンブリア紀からベルム紀まで、つまり5億4千万年前から2億5千万年前までの約3億年間地球上に生息していた節足動物である。縦に3つの部分(中葉とそれを挟む側葉)に分かれているので三葉虫と呼ぶ。大きいものは体長60センチ、小さいものは1センチ未満まで多種類が存在する。なぜそこまで分かるのか。それは多数の化石が見つかっているからである。そして、その理由のひとつは、三葉虫の外骨格と目が方解石(カルサイト)からできているからだとされている。つまり骨が残っているのである。
三葉虫について色々な書籍で読んでいるうちに、他とは違うことに気づいた。古代の生物の骨が残っていることは珍しいことではない。しかし、目が残っていることは驚くべきことではないか。だって、人間の頭蓋骨を見てわかるように、通常は目の部分が穴になっているはずだから。ただし、眼球だけ残っていてもその見える仕組みまでは分からないだろう。ところが最近の研究では、感覚受容細胞の構造も分かってきているようである。5億年前の初期の三葉虫はすでに高度の複眼の機能を持っていたらしい。
一体、5億年前の三葉虫は何を見ていた、あるいは何を感じ取っていたのか。そこはどのような世界だったのか。周りにはどのような生物がいたのか。視覚は脳の機能の一部と言える。一体、三葉虫の脳はどのような働きをしていたのか。正直な所、私にとっては好きな形態の生物とは言えないが、三葉虫の研究者が夢中になる気持ちはよくわかる。
以上は、Wikipediaならびにこれまで読んできた古代史に関わる本から知った知識に基づくもので、一般論にすぎない。最近の研究を追っているわけではないので、さらなる新たな発見があるのかもしれない。研究の世界では定説は常に覆るものである。
なぜ骨が残っているということにそれほどこだわるのか。理由はつまらないことである。様々な刑事ドラマの再放送を楽しんでいるが、何本かにひとつは白骨遺体が掘り出されて、鑑定の結果から色々あって犯人が割り出される、というものがある。最後には「骨が語っている」と言われる。同様に、骨は何億年を経ても何かを語るのだ。
人間を含む動物は死ねば無になると思ってきた。霊などは存在しない。あるのは思い出だけ。それが忘れ去られれば本当の意味で無になる。そういう意識から、思い出を消さないために、夫の月命日には墓参りをすると決めている。しかし、時々、骨に魂が宿っているわけではないのだから、あまり意味が無いのかもしれない、などと思うこともあった。しかし、それは間違っている。魂とは別の情報はきっと何かを語り掛けているのだ。数億年前の三葉虫の化石のように、人間の骨だって数億年後も何かを語り続けるかもしれない。そして、数億年後の地球人、あるいは別の天体の生物が骨の声を聞き取ることができれば、我々の存在は未来人に伝わるはずである。
三葉虫の目を通じて私が感じ取ったことは、三葉虫にとっての3億年からみれば、新型コロナウィルスの影響による株価の下落も、高校野球の中止も、東京オリンピックの開催時期も、一瞬の出来事だということである。慌てることなく対策しようではないか。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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三葉虫の目が語ること
2020.03.15