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覆ることを恐れない


2020.03.08


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 我々人類はどこから来てどこへ行くのか。今年に入って、こんなことを考えつつ読書を続けてきた。最近出版された本では「文化がヒトを進化させた」(ジョセフ・ヘンリック著 白揚社)、「生命進化の物理法則」(チャールズ・コケル著 河出書房新社)、「オリジン・ストーリー」(デイビッド・クリスチャン著 筑摩書房)、そして「交雑する人類」(ディビッド・ライク著 NHK出版)がある。それに加えて、家に眠っていた古い本も読んだ。「ネアンデルタール人」(青土社 1998年)、「ルーシーの子供たち」(早川書房 1993年)、「生命40億年全史」(草思社 2003年)などである。20年前後前の書籍と最近の書籍を読み比べてみると、大変面白いことに気づく。定説は覆(くつがえ)るということである。

 社会科学の分野であれば、時代時代の支配者の思惑で歴史が書き換えられ、結果として定説が覆ることはあるだろう。しかし、自然科学の世界では違う。新たな遺物の発見、新たな研究成果の適用、最新情報機器を使った大量データの分析などの結果から、これまで正しいとされていたことが一瞬にして間違いと断定されてしまうのである。それは、これまでの研究成果を積み上げてきた研究者にとっては認めがたい、許しがたい事実だろう。

 考えてみればすぐ分かるが、我々の見ている世界はかなり限られている。平面にポツポツと打たれた点かもしれない。それを研究者たちは様々な仮説をたてて線につなぎ、それが正しいことを検証するためのデータを集める。ときには都合の悪いデータは誤差あるいは間違いとして無視することもあろう。そして、大半の人が納得する定説が出来上がる。さらなるデータを集めるには非常なコストがかかるので、定説は長期間存続する。

 定説が大きく覆る典型的な例を示したのが「交雑する人類」で取り上げられた古代人の骨のDNA解析である。点の数を増やしたのではない。一つ一つの点の情報量を比較にならないほど大きくしたのである。ネアンデルタール人と現生人類が過去に交雑した事実も、DNAが明らかにした。そして、世界中の人類が現在居住する場所にどこから来たかということもDNAで明確になりつつある。教科書は大きく書き換わる可能性がある。

 定説が覆ることは進歩なのだ。そしてこれからもこの進歩は続いていかなければならない。研究者は宇宙を調べ、地球内部を調べ、量子コンピュータを作り、人間の脳の仕組みの解明に取り組んでいる。早晩新しい発見があるだろう。いくつもの定説が覆る可能性は十分にある。教科書は頻繁に書き換えられるだろう。そのスピードは年々速まっている。我々は柔軟にそれを受け入れていく必要がある。

 新たな研究成果も、将来のある時点から見れば、少ない情報から仮説を作り少ない情報に基づいて検証した結果にすぎない。我々は新たな発見を歓迎し、定説が覆ることを恐れることなく真摯に受け止めることが必要である。

 身近な危機にも同じことが言える。未知のウィルスに翻弄されている我々は、デマなどに振り回されることなく、今こそ冷静に事実を見極めることが必要である。どんな事実が突き付けられても、それは人類の進歩のためと受け入れる覚悟が求められている。



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