1月最後の週末、雨戸を開けてみると濡れ縁にセミの抜け殻が落ちていた。まさか、この暖冬でセミが間違って出てきてしまったのか。いや、どこかの木の枝にひっかかっていたものが風で飛ばされてきたのだろう。でも秋には落ち葉が沢山飛ばされてきた庭にはもう落ち葉は見られない。昨年の台風19号で破損した屋根の修理が今年に入ってようやく始まったので、ひょっとしたら屋根にひっかかっていたものが落ちたのかもしれない。でも工事は2週間以上前に終わっているのだ。思考はここで止まった。
テレビでよく流れている乳酸菌飲料のCMのメロディー(とても短いもの)が、JRのある路線の各駅で流れる発車を知らせるメロディーとそっくりなことに気づいた。この路線は(多分)殆ど全ての駅で、上り下りともにかなり昔からこのメロディーを使っていたと思う。最後に始発から終点まで乗った14年前はそうだった。偶然なのだろうか。面白い発見だが、それ以上調べる気にはならない。
先日、5歳の孫娘から「観察というのはよく見て考えることだよ」と教えられた。(あんたはチコちゃんかい!)ぼーっと生きている私は、面白いことを発見しても「それで?」で止めてしまうことが多いのかもしれない。でも言い訳させていただくと、それ以上考えても次の行動に結び付きそうもないことについては、そこで考えるのを止めているとも言える。
暖冬のせいでセミが1月末に出てきても、そうでなくても、地球温暖化が進んでいることは確実である。我々がそれに対処していかなければならないことも確かである。だから、セミについてもうそれ以上考える必要性を感じていないのだ。駅の発車メロディーとCMのメロディーがそっくりだといって、我々の生活に何ら影響はない。「へー、面白い」で終わる話である。目くじら立てるほどのことでもない。
最近、発見が次の行動に結び付いた例がある。この歳になるとしばしば電車内で席を譲られる。その時私は喜んで座らせていただく。相手の方にも自分にも良いことだからである。2週間ほど前に、席を譲られる頻度が非常に高まったことに気づいた。出先のトイレで鏡を見てびっくりした。頭の全面の生え際が白髪で真っ白ではないか。自宅の鏡では光の当たり方で白髪に気づかなかったのである。あわててドラッグストアに行って白髪染めを購入し、生え際を染めた。次の日から見事に誰も席を譲ってくれなくなった。電車内で席を譲るか譲らないかは髪の色で判断されるのだと改めて分かった。立っているだけじゃヨボヨボしているかどうか分からないもの。
さて、私だって考えることを止めているわけではない。脳みそをフル稼働させる努力も怠っていない。2019年末からの私の読書では『進化』『脳』『AI』に関する「歯ごたえのある書籍」にチャレンジしている。昨日読み終えたのは「生命40億年全史」(草思社 2003年)である。最終的には、人間は将来どうなっていくのか、それに対して私自身および子供たち、孫たちはどうしていくべきなのかを見極めていきたい。細かい文字は1年前に購入したパソコン作業用の眼鏡で克服した。あとは孫娘に自慢できるくらい「考える」ことにしよう。
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コンサルティングと研修のサービスを提供します。
所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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冬のセミと孫から教わったこと
2020.02.02