東山魁夷の有名な絵画に『道』がある。眼前にまっすぐ伸びる白い道は、混乱の中で道を見失った戦後間もない日本の人々に新たな時代への希望を与えたのだろう。しかし、今の私にはこの絵画が、何やら恐ろしい感覚をもたらす。それは、人生の折り返し地点を過ぎてしまった私にとって、まっすぐな道の先にあるのは死である。終わりはまだ見たくない。だから私は曲がりくねった道を行きたい。もっと迷いたい。
2020年を迎えた頃、私は猛烈に歯ごたえのある書籍と格闘していた。「ネアンデルタール人」(青土社、1998年発行)である。翻訳本で、原著の発行は1993年である。著者はネアンデルタールに関する世界的権威の米国の人類学者と、革新的な化石の研究者である米国の医学者である。内容は、ネアンデルタール人の化石が発見されてから100年以上に渡る、多くの関係者の「謎に迫るための争い」を描いた歴史的な読み物である。ネアンデルタール人は現人類の祖先なのか、そうでないならいつ枝分かれしたのか、を科学だけでなく、宗教、政治的な思想も含めて議論してきた経緯を述べている。
なぜ歯ごたえがあるかというと、まずとにかく文字が小さい(1050文字/ページ)。しかも535ページもある。登場人物は百数十人もおり、各人が登場するたびに生まれ育った環境から登場時点までのその人の人物史が語られる。翻訳なので、読み方によって意味が全く逆になることがある。例えば「○○に対して反対の意見を持つA氏を攻撃するB氏は・・・」と書かれていると、「あれ、○○に反対していたのはどっちだったっけ」と迷い、読み返して前後の関係から納得のいく解を見つけ出す必要がある。それでも最後までたどりついたとき、多くの登場人物がその時点で使える限りの資料と知識と思想を総動員して、それに反対する別グループとバトルを繰り広げてきた様子が見えてきた。
科学は進歩する。新たな技術を使うことによりそれまで正しいとされていた説が覆り、葬り去られていた説が復活することもある。学者たちも年をとり死に至る。次の世代の学者たちがバトルを引き継ぐ。曲がりくねった道を歩みながらそれでも先に進んでいく。しかし後世の人たちはその結果だけを見ているので、まるで真っ直ぐな道を歩んできたかの如く勘違いしてしまう。現段階での定説と相いれない多くの説の存在は無視されてしまうのだ。
現在では、ミトコンドリアDNAの解析結果により、ネアンデルタール人は現生人類とは別の人類であるということが定説になっている。また、現生人類のゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数パーセント含まれているという研究結果も報告されている(Wikipediaより)。今後も新説が出てくる可能性はある。曲がりくねった道はまだ続くはずである。
さて、現在も私は歯ごたえのある書籍と格闘している。「スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運」(日本経済新聞出版社 2017年)である。こちらも翻訳本で、原著は2014年発行である。参考文献一覧だけでも120ページもある。著者はオックスフォード大学「人類の未来研究所」所長の分析哲学者である。AIに支配されるかもしれない未来への道も曲がりくねっていることを願う。そのまま破滅に突っ走ってしまったら本当に怖い。
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所長:石田厚子 技術士(情報工学部門)博士(工学)
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科学は曲がりくねった道を行く
2020.01.12