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英語ができなくとも生きていけるのだが


2019.11.17


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 学生時代から英語が苦手だった。大学入試の模擬試験で、必死で考えて選択した解答の正答率がランダムに選んだ場合よりも低かったときは、勉強する気を失った。それでも、何とかすり抜けて大学を卒業し、社会人になることができた。しかし、試練はそれからだった。

 入ったのはIT業界である。当時は米国の最新技術を入手して学ぶことが必須だったので、会社の方針で定時後に英語の研修を受けさせられ、「英検」を半年ごとに受けさせられ、成績を厳しくチェックされる状態が続いた。その効果はあったようで、30代になると仕事で米国の大学の先生方と会話することもできるようになった。

 その後、色々な事情で海外との接点はなくなり、英語の勉強もする必要も時間も無くなった。当然ながら英語の実力はどんどん下がり、当時中学生だった子供にすら馬鹿にされるようになっていた。昇進の条件にTOEICの点数が入る時代より前に管理職になったので、うまくすり抜けることができ、英語を勉強するモチベーションはほぼ無かった。

 そのような状況から脱しようと決心したのは50歳頃のことである。何と、米国の研究所との共同プロジェクトに参加することになったのである。一緒に参加する若手は英語がペラペラである。私は周りの人が笑っているのに合わせてわかったふりをして笑うのが精いっぱい。会議で自分から話すなどとてもできるものではなかった。これはまずい、そう思って自腹を切って英語の勉強を開始した。

 最も長かったのは、「1000時間ヒアリングマラソン」という教材で、10年以上、通勤時間も犬の散歩中もイヤホンを外さなかった。最もお金をかけたのが「マンツーマン英会話」で、出社前に週3回は1時間のレッスンを受けた。これは数年続けたが、お金が続かず止めた。結果はどうだっただろうか。はっきり言って「分からない」である。なぜなら、英語を使う機会が全くないからである。役職定年を経て、海外との仕事は無くなってしまったまま定年を迎えた。ここ10年近く、海外の学会発表も旅行もしていない。子供の結婚と2回の出産、夫の度重なる入院と手術、そして夫の死、父親の死、私自身の入院と手術、などが重なり、その余裕がなくなったのである。海外旅行を楽しめる高齢者というのは本当に恵まれた運のよい人たちだと思う。だから、ここ数年の間に海外の人としゃべったのは、「駅はどこですか」「あちらです」が2回あっただけである。結局、70歳になったとき、全てを断捨離してしまった。英語がしゃべれなくとも生きていけるのだから。

 私の英語が苦手な理由はただ一つ、必要が無いからである。逆に言えば、必要が生じれば必死で勉強するだろう。しかし、その「必要」が、『大学受験に合格するため』、『昇進するため』だとすると、点数をあげるためのテクニックを磨くことに努力を傾けることになり、本来あるべき『海外の人とのコミュニケーションをとる』という目的とずれてしまう。

 大学の教科書を全部英語にする、大学の授業を全部英語で行う、海外の人を沢山雇う、こうして「必要」を作り出さない限り、日本人の英語力は上がらないのではないか。でもそこまでしなくても、コミュニケーションはAIに任せてもいいんじゃない?



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