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団塊の世代は13年前何を考えていたのか


2019.10.20


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 暇ができると、何か読む本はないかと本棚を眺める癖がついた。読書が趣味だった亡き夫の遺した本には、今読んでも面白いものがある。その中に、明らかに自分が購入した新書を見つけた。「団塊格差」(三浦展著、文春新書 2007年3月発行)である。2007年と言えば、我々団塊の世代が60歳に差し掛かかろうとする時である。本書は、団塊世代2000人全国調査のデータを分析し、「格差」と言う視点でまとめたものである。調査は前年に行われただろうから、13年前の我々世代が何を考えていたのかわかるはずである。移動中に読むのに最適だとバッグに入れて家を出た。

 読み始めてすぐに、以前気づかなかった(あるいは気づいていても忘れていた)ことに引っかかった。2000人のサンプルの内訳である。学歴が中卒の人が2%しかいない。一方で大卒以上が54%もいる。実際の団塊の世代の男性の学歴は3割以上が中卒であり、大卒以上は22%だそうである。これでは、我々の世代の実態を表しているとは言えないだろう。さらに読んでいくうちに、そもそも「団塊の世代」の定義自体があやふやになってきた。本来、昭和22年から24年に生まれの集団を指していたはずだが、私がイメージでは学生運動を通過して勤め人になり、家庭は妻に任せて組織のために働き、定年を迎える人たちになっていた。なぜならば、私自身が大学卒であり会社勤めを数十年してきたため、周辺には同種の人間しかいなかったからである。しかも、退職後つきあっているのは高校や大学の同窓生、会社の元上司や同僚である。40年以上住んでいる住宅地はいわゆるベッドタウンであり、都心に通うサラリーマンが早朝に駅のホームを走って場所取りをし、深夜に疲れ切って駅に降り立つイメージしかなく、勤め先は違っても皆同じであるように見えていた。しかし、同世代でこのような人種は稀ということになる。

 昭和22年から24年生まれを団塊の世代とひとくくりにすること自体無理があると改めて気づいたところで、一旦、この本で取り上げた2000人のサンプルを仮に「団塊世代」とすれば私自身の感覚と近いものが多くあることに気づく。13年前、60歳を目前にして私はかなり焦っていた。役職定年になり、仕事はトラブルプロジェクトの支援と経営品質活動のとりまとめ、機密保護や倫理教育のとりまとめ、が中心となり、新しいことに取り組む機会はほぼ無くなっていた。60歳過ぎたら嘱託となり年収は半分となることも分かっていた。仕事は続けたかったので、外部への転職活動もしていたが、全て落ちた。結局、再雇用で65歳まで勤めた。57歳で工学博士の学位を取っていたことが幸いして、その後誘われて大学の特任教授となり70歳まで勤めることができた。私は運が良かったとしか言えない。

 2007年の「団塊格差」に書かれた内容は、現在の私の感覚とほぼマッチする。65歳までは働きたいと思うも、うまい転職先は見つからず、結局半分の年収で再雇用されてひとまずほっとした。その先は全然見えないが、ぜいたくしなければ年金をベースにして生活できそうではある。つまり、13年間は我々の思考に変化をもたらさなかったということか。

 以上は、あくまでも私個人の感想であり、ひとつの事例に過ぎない。人生は多様である。



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