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朽ちていくのは止められないが


2019.10.06


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 近所にもう何十年も空き家になっている住宅がある。建ったのは我が家より少し前のはずだから築45年といったところだろうか。年々朽ちていく様子が見える。家というものは人が住まないとなぜこのようになるのだろう。

 我が家はそろそろ築43年になる。子供たちが巣立って10数年、夫が亡くなって4年半、私が一人暮らしをしているこの家も見えないところで朽ちてきている。一時は、思い切って家財道具を始末し、更地にして売ってしまおうか、と考えたこともある。しかし、その気持ちはかなり薄れてきた。この家は、夫の実家の山から切り出した木を使って建てた「100年もつ」と言われた家である。このまま家を壊してしまったら、大切な材木は廃材となってしまう。それは申し訳ない。

 私は死を「無になること」と思っているので霊魂などは信じていないが、亡き夫の家に対する思いが残っているという感覚を、私自身が感じている。子供たちは帰ってこないが、それは今が忙しく充実しているからであって、家が消えて無くなるとなれば寂しいと感じるだろう。つまりこの家は、家族の思い出博物館なのだ。そして私自身はそこの管理人と言ってもいいかもしれない。朽ちていくのは止められないが、できるだけ長く保存していくのが私の務めではないだろうか。

 幸いなことに、10年近く前に風呂場、洗面所、トイレのリフォームをし、階段に手すりを付けていた。しかし、これ以上のリフォームにはお金をかけられない。だから、この状態からできるだけ「住める状態」を維持する努力が必要なのである。さらに、安全、安心の確保も必須である。防災、防犯対策に手を抜くことはできない。伸び放題だった庭木は植木屋さんに丸坊主にしてもらい、見通しをよくした。

 お金をかけられないことはまだある。家具、家電品である。新たなものは買わない方針で、不具合があれば自分で対策することを心掛けている。テレビが映らなくなったのを、「フィーダー線を同軸ケーブルに変える」ことで解決したこと(「我が家は絶滅危惧種なのか」)がその代表である。同じようなことが最近もあった。洗濯機の水漏れである。かつて家族4人の洗濯物を毎日洗ってくれた洗濯機だが、私一人でブンブン回すのももったいないと感じていた。そんなとき、洗濯終了時に床が水浸しになっていることに気づいた。次の日よく観察してみたら、すすぎの段階で水がどこかから漏れているようだった。結局、しばらくは手洗いをし、脱水と乾燥だけを洗濯機を使っていた。さらに、大きなものの手洗いは大変なので、洗うだけの小さな洗濯機(通販で6,000円くらい)を買って使っている。水道代と電気代の節約にもなりそうである。

 一人で古い家を維持していくだけでは気が滅入る。そんな私には「仕事場」、別名「隠れ家」がある。かつては会社にいる時間の方が家にいる時間よりも長い、という生活をしていたが、同じようなものである。これは悪いことではない。複数の場は必要だ。気持ちの切り替えをし、バランスを取りながら暮らすことが人間を朽ちさせない方法かもしれない。



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