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ボーっとしていても発見することはある


2019.09.15


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 週の内の大半は「仕事場」に籠ってパソコンに向かっている。最近はRaspberry Piで画像処理をしようとして落とし穴にはまり、2週間も抜け出せなかった。パソコン用の眼鏡を使っていても、当然目は疲れる。4か月前に苦しんだ腰痛の再発を恐れて幅広のゴムのサポーターは常に付けたままである。しかし、今度は腕の付け根が痛み出した。さらには足がパンパンにむくむようになった。身体を動かさなければならない。スポーツ嫌いの私にできることと言えば、ウォーキングしかない。

 幸いなことに、「仕事場」の近くに大きな県立公園がある。その周辺には大学のキャンパスも広がっており、緑が豊かである。そこで、暑さの和らいだ頃から、1時間から1時間半のウォーキングを始めた。ルートはその日の気分で決めている。例えば、昨日のコースは県立公園の周辺を左回りに一周し、ちょっと大学の周辺の水辺に寄り道をする、といったものだった。今日は、公園までちょっと遠回りをし、最後は広い公園の中を歩き回った。寄り道する場所も地図を見ながら考えている。市内の小学校巡りも面白いかもしれない。

 ウォーキング中は殆ど何も考えていない。でも発見はある。今朝は、空を覆う雲がフェルメールの「デルフト眺望」そっくりであることに気づいた。雲は一つとして同じではないのに、時代や場所を越えて同じように見えることに感動した。それは一瞬のことで、たちまち青空に変わったのだが。

 歩いていると色々な人に出会う。先を歩くステッキのおじいさんを追い越したと思ったら、後ろからきたおじさんに追い越された。昨日、大学の周辺で通勤のおじさんとすれ違ったが、今朝はかなり離れた場所で同じような通勤のおじさんと出会った。中年サラリーマンというのはどうして体形も服装も似ているんだろう。高齢の夫婦づれの人たちとすれ違い、自転車に乗る二人連れの中学生にも出会った。中学校はどこにあるんだろう。いつもは高校生たちの集団と出会うのだが、なぜか今日は全く会わなかった。ただ、これらの方々の顔は全く覚えていない。何となく年齢や雰囲気を感じ取るだけである。よく刑事ドラマで、ちょっと見かけただけの犯人の似顔絵を描いたり、面通しをしたりしているが、そんなことできるものだろうか。よほど注意深く人の顔を覗き込んでいない限り無理だと思う。

 何かしらの発見をしているウォーキングで、その逆のこともあることに気づいてちょっと驚いた。いつも見ていたものが目に入らなかったのだ。県立公園の右回り一周は何度かしていたが、左回り一周は昨日が初めてだった。右回りのときいつも気になっていたのは、県民のための大きな施設の入り口である。どんなイベントをやっているのだろうか、レストランもあるみたいだから一度来てみたいけど幼児連れはだめかな、などと色々考えながら通過するのが常だった。ところが、昨日はこの施設に全く気付かなかった。これは、対象物が直線ルートの最後の方にあるか最初の方にあるかの違いではないか。つまり、直線ルートに入った時は歩き始めるということに気を取られてあまり回りを見ていない。ルートの最後に近づくと、それを確認するために回りをよく見る。これもひとつの発見かな。



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